枕草子のたくらみ

山本淳子「枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い」

たくらみ」とは穏やかでない。まるで何か政治的な意図でもあるかのようだ。
makura_no_soushi_no_takurami.jpg しかし、この「たくらみ」とは、そうした権力的なものではない。定子のサロンが、おそらく当時としては破格の優れたサロンであったことを記録にとどめ、それとともに定子をいつまでもこの国の人々の記憶にとどめようという「たくらみ」である、と著者は主張している。

そして、その「たくらみ」は成功した。
私たちが今でも枕草子を大事に思い、読み継いでいるのだから。

枕草子は、伊周が献上した冊子(紙)に、古今集の筆写でもしようというところを押しのけて、清少納言に下命されて書かれている。そして、下命を受けて書かれたものは、下命者に献呈されるものである。定子に読んでいただくことを前提として、書かれたものである。
著者は、繰り返していう、定子になったつもりで読めと。

定子は完璧な女性である、少なくとも清少納言はそう思っている。
子供のころから、後宮に入ることを予定され、母貴子がそうであったように、和漢の典籍、礼楽に通じた深い教養、機知と人情に富む人柄、そして「かかる人こそは世におはしましけれ」といわれるほどの美しさ。
何不自由なく、自信に満ちた後宮生活、そして父関白のの死、兄内大臣の転落、一族が凋落するなかで24歳で閉じる命。

才気走って、ミーハーな清少納言、深みの無い作品枕草子。
それは表面的な読みだという。清少納言にそうした面があったことはそうなんだろう、しかし、かつてのサロンを懐かしみ、少しでも気散じにと、決して暗いことなど書かずに、サロンで起こった一コマを切り取って描写する、それを受け取る定子の気持ちをすべて踏まえるなら、これ以外の書き方はなかったのかもしれない。

そして、その通りだったら、清少納言というのは、なんと魅力的な女性だろう。
才気をひけらかして、他の女房から憎まれながら、言い訳をしたり、卑屈になることもなく、女主人への深い思いを秘め、そして女主人のために、そして女主人を偲ぶ、きりっとした姿が浮かぶ。ウェットな感情はけっして表に出さず。

これで絶世の美女で、艶聞も多かったら、完璧だ。昔あこがれた「カラマゾフ」のグルーシェンカのようだ。


ところで、紫式部が清少納言を酷評していることは有名で、本書でも最初(序章―酷評)にそのことが書かれている。これについて、著者は、それは、紫式部は、定子に起こった厳しい事情を知っているから、なぜ枕草子がそんな書き方をするのか、そのことに対する評だと言う。

そういえば、著者は別書「平安人の心で『源氏物語』を読む」で、清少納言ならぬ紫式部と定子の共通点、式部が定子(彰子ではなく!)に感情移入できる点がいくつかあるとも指摘されている。そして、桐壷の更衣のモデルは定子であろうとされる。(そうだとすると、私には紫式部もかなり屈折した性格に思える。)


紫式部を苛立たせこと、そして私たちが枕草子を読むときに定子に思いを致すことで、枕草子の「たくらみ」は完全に成就する。
本当のことはわからないけれど、著者のいうとおりのほうが、清少納言も枕草子も、ずっと魅力的なものになることは間違いない。

序章清少納言の企て
酷評/定子の栄華/凋落/再びの入内と死/成立の事情
第一章春は、あけぼの
非凡への脱却/和漢の后/定子のために
第二章新風・定子との出会い
初出仕の頃/機知のレッスン/型破りな中宮/後宮に新風を 清少納言の素顔/父祖のサバイバル感覚/宮仕えまで
第三章笛は
横笛への偏愛/楽の意味/堅苦しさの打破
第四章貴公子伊周
雪の日の応酬/鶏の声に朗詠/『枕草子』の伊周/伊周の現実
第五章季節に寄せる思い
『枕草子』が愛した月/節句の愉しみ/分かち合う雪景色
第六章変転
中関白道隆の病/疫禍/気を吐く女房たち
第七章女房という生き方
幸運のありか/女房の生き方/夢は新型「北の方」/「女房たちの隠れ家」構想
第八章政変の中で
乱闘事件/魔手と疑惑/定子、出家/枕草子の描く長徳の政変/引きこもりの日々/晩春の文/原『枕草子』の誕生/再び贈られた紙/原『枕草子』の内容/伝書鳩・源経房
第九章人生の真実
「もの」章段のテクニック/緩急と「ひねり」系・「はずし」系/「なるほど」系と「しみじみ」系
第一〇章復活
職の御曹司へ/いきまく清少納言
第一一章男たち
モテ女子だった清少納言/橘則光/若布事件/則光との別れ/藤原行成/鶏の空音
第一二章秘事
一条天皇、定子を召す/雪山の賭け/年明けと参内/壊された白山…/君臣の思い
第一三章漢学のときめき
香炉峰の雪/助け舟のおかげで
第一四章試練
生昌邸へ/道化と笑い/枕草子の戦術/清少納言の戦い
第一五章下衆とえせ者
下衆たちの影/臆病な自尊心/「えせ者」が輝くとき
第一六章幸福の時
「横川皮仙」/高砂/二后冊立/夫婦の最終場面
第一七章心の傷口
「あはれなるもの」のあはれでない事/紫式部は恨んだか/親の死のあはれ
第一八章最後の姿
「三条の宮」の皇后/お褒めの和歌/二人の到達
第一九章鎮魂の枕草子
「哀れなり」の思い/鎮魂の「日」と「月」
終章よみがえる定子
共有された死/藤原道長の恐怖/藤原行成の同情/公達らの無常感/一条天皇の悲歎/清少納言、再び

本書の読み方にしたがって、定子と清少納言を中心にした二次作品(映画、演劇、まんがなど)が作られたら魅力ある作品になると思う。著者が脚本を書いたら良いのではないだろうか。
さて、映画やドラマにするとしたら、定子、清少納言は、誰が演じるのが良いだろう。

清少納言には北川景子を推す。ツンツンした感じが良い。美人すぎるのが清少納言のイメージとは違うけど。
問題は定子、完璧な美女にして(とりわけ手・指が美しくなければならない)、知性あふれ、しかも優しい心、そして、明るさの中にふと暗い陰を感じさせるような女優。


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この国の政府は見苦しい

森友学園に続いて、加計学園と、怪しげな話が連続した。
そして、「総理の意向」という文書があるという前文科省事務次官の証言が飛び出して、一旦は、官房長官が存在を否定し、文科大臣は文書の存在は確認できないと言い、それについて調査する気もないと言う。
これで押し切るのかと思ったら、複数の文科省職員が、文書は存在するという証言が出てきて、一転して調査するという。

2017-06-10_115158.png

なんともできの悪いストーリーである。
オペラなら、真実を知らない間抜けな登場人物が、なんか変だと思いながら、うやむやのまま事が進んでいく。

この間抜けな登場人物は殿様なのだが、最後まで、だまされたままで、それでも結局大団円となる(フィガロの結婚)。


ところが、今回は、この間抜けな登場人物というのは、日本国民のことなのだ。大団円にもなりそうにない。

この問題、総理が何か直接、指示・命令をしたというようなことは多分ないと思うけれど、役人の側に忖度があったかといえば、それはそれなりのものがあったんだろうというのが、多くの人の感想だろう。
中には、プロセスはともかく、というか、そもそも獣医学部の新設を抑制してきた文科省が間違いだから、今回の加計学園問題は、結果的には良いことだと言って、問題をすりかえようという人もいる。
獣医師の需要からみて、獣医学部の新設抑制が適切かどうかと、それが特定の事業者にだけ認可を出すということは別の問題だろう。しかも、選定にあたって、途中でルール変更(「広域的に」の文言追加)をしているのだから。

そうした結果論は、この際措くとして、見苦しいとしたのは、「総理の意向」文書の存在に対する、官邸・文科省の対応。
存在するかどうかについては、官邸も文科省も、もし存在するなら、間違いなく知っていたはず。それを、確認できないと説明したわけだが、隠しおおせると思ったんだろうか、それとも「無い」といったら嘘をつくことになると、少々の引っ掛かりがあったのだろうか。あまりに見苦しい態度だと思う。

そもそも情報公開というのは、政府の意思決定を事後的にチェックできるようにすることが制度の趣旨である。
なんでも、意思決定過程の文書は出さなくて良いなどと言った人がいるらしいが、正確には、現在、意思決定の過程にあって、公開すると意思決定が歪むものは出さなくて良いということである。

そんな簡単な法理を無視(無知?)して、苦しい説明を平気でするという態度からは、最後は数の力で押し切り、うやむやにしてしまえるという慢心を疑ってしまう。

情報公開といっても、運用は難しいと思う。
ある自治体では、複数人が共有すれば、メモであっても公開対象となる。それを完全にやりとげることは到底無理だとは思う。なぜなら、そうしたメモが公開対象になるからといって、すべて保存管理することなど不可能だから。しかし、その姿勢というものが重要で、公文書として管理されていないとしても、そうしたメモがあるなら公開すべきであるという判断がなされるべきだろう。
もちろん、管理していない文書であれば、不存在として公開拒否はできる。おそらく、今回の件も、最後はそうした決着になる可能性は高い。
そのときにこそ、公務員の矜持が問われることになるだろう。

今の国会の様子だとしたら、多数決で押し切り、うやむやになるという決着が見える。
なんといっても「国権の最高機関」だから。

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アンプの入替

何度も書いたように、我が家はオーディオ・セットが2つある。
一人で集中して聴くためのオーディオ部屋に1セット、リビングに1セットである。

オーディオ部屋は、今までは前に書いたような機器構成(その後サブウーファーNS-SW200を追加)で、アナログ・レコードのデジタル化もこの部屋で行う。

リビングは大きいけれど古いスピーカー(TANNOY Arundel)を置いて、エッジが傷んでいたので、前はたまにしか音を出していなかったのだけれど、スピーカーの修繕スーパーツィーターの追加ということで、ハイレゾ対応の満足度の高いセットに変わった。
ということで、今まではオーディオ部屋がメイン、リビングはサブという位置づけだったのが、逆転してしまった。

そうなると、リビングの方の音をもっと良くしようということになる。
さしあたって、アンプのデジタル入力が24bit/96kHzという低い(?)規格なので、もっと品位の高いソース(DSF 2.8MHz/1bitとか、PCM 24bit/192kHz)をその品位で再生したい。
そう、オーディオ部屋で使っているDENON PMA-50をこっちのセットで使おうということである。

PMA-50入力仕様
 入力端子 フォーマット サンプリング周波数 ビット長
 USB-B DSD(ASIO、DoP) 2.8/5.6 MHz 1 bit
 LPCM 32/44.1/48/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit
 光/同軸デジタル LPCM 32/44.1/48/64/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit

PMA-50にすれば、外付けサウンド・プロセッサーを介さず、PCに直結できる。
この外付けサウンド・プロセッサー24bit/96kHzまでの対応であるが、ダイレクトにPMA-50に接続すれば、手持ちのハイレゾ音源、

菊池洋子のモーツァルト(DSF 2.8MHz/1bit)
ラトル/ベルリンのベートーヴェン(PCM 24bit/192kHz)

などを、その品位で再生できる。(他のハイレゾ音源は、24bit/96kHzが多い)
どちらも、前は、PMA-50+Autograph mini+NS-SW200で聴いていたもの。変わったのはスピーカーと部屋である。

さて、菊池洋子、モーツァルトの協奏曲だからオーケストラは小編成なので、広大な音とはならないけれど、ピアノの音が妙に生々しくなった。Autograph miniではとにかく綺麗に鳴ったという印象だったが、迫力とタッチの微妙なところが際立ったような感じ。
ラトルのベートーヴェンは、とにかくオーケストラが柔らかくなった。これがハイレゾの効果ではないだろうか。

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PMA-50のディスプレイに "DSD 2.822MHz"の表示


とはいうものの、PMA-50の音は、繊細で均整がとれたような音なのだけれど、前に接続していたONKYO A5-VLのほうが、なんとなく色気を感じる。ただし、A5-VLには、高域にノイズが出てる感じがするけれど。
原信号の再生にこだわるのか、さて、悩ましいところである。

ところで、DSDの再生には、PCのfoobar2000をDSD対応にする必要があるが、これがちょっと苦労した。
前に、foobar2000―PMA-50でのDSD再生という記事を書いているので、この通りにやれば良いはずだが、foobar2000のコンポーネントをダウンロードしようとしたら、前の記事のときから随分、バージョンが上がっている。最新がいいだろうと思ってやってみたのだけれど、どうやらソフトの構成が変わったようで、いろいろやってみたものの音が出ない。新バージョンの使い方を調べるのも面倒なので、結局、記事通りの古いバージョンで無事、再生にこぎつけた。新バージョンについてはいずれゆっくり調べるつもりだが、メリットはなんなんだろう。

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プロット・アゲンスト・アメリカ

51GKIUw3K7L.jpg フィリップ・ロス「プロット・アゲンスト・アメリカ」

長編小説。このぐらいの長編といえば、学生時代のドストエフスキーの長編以来ではないだろうか。
普段、小説は避けている私が読んだのは、たしか "「戦後80年」はあるのか" の中で紹介されていて、一度読んでみてもよいかなと思ったから。

いわゆる過去SF、歴史改変小説で、歴史の分岐点において、実際に歩んだ歴史と異なる道を進んでいたらどうなっただろうか、という小説である。

本作では、ローズヴェルトが大統領三選をリンドバーグ(かの飛行機の英雄)に阻まれ、アメリカが第二次世界大戦に参戦せず、あろうことかナチスと友好関係を保つという、もう一つの歴史を、その状況に置かれたユダヤ人の子供の眼を通して描く。

(この子供は作者自身だろうか、同じ名前である)

リンドバーグ大統領に反発する両親、賛成・支持する兄、親戚や周囲のユダヤ人の生き方、そうしたものが、丁寧に描写される。
子供の眼だから、思想的なこと、政治的なことは直接的には論評しないのだけれど、その子供にも伝わる圧迫感、周囲の変調というものが、生々しい。大長編であることが、その変調が、じわじわと起こる過程を描く。その少しずつの変化。普通の日常生活を書きながら(子供らしい冒険はあるけれど)、世界が変わっていく。

あまりにも精緻に描かれていて、リンドバーグのアメリカを背景に、苦悩するユダヤ人、分断されるユダヤ人社会を描いた歴史小説かと錯覚するが、背景が虚構なのである。
登場人物は実在の人物が多い。そして、私は知らないが、その人たちの行動は、当時の行動、考え方から、さもありそうに描かれているらしい。リンドバーグは実際にナチから勲章を受けているし、ヘンリー・フォードは反ユダヤ主義者である。(巻末に登場人物の実際の年譜が掲載されている)

政策の方向性は違うけれど、トランプのアメリカと重ね合わせて読む人も多いと思う。
リンドバーグとヒトラーの関係が、トランプとプーチンの関係に、ユダヤ人がイスラム教徒に(ただし、ユダヤ人がテロをしたりはしていないところが違うけれど)。


分厚いハードカバーに製本されているから、さすがに通勤の車内では読みづらい(学生のときは平気だったけれど)。それで、寝る前にベッドの中で読んでいたのだけど、読みながら、いつのまにか寝てしまう。
ところが、寝てしまうと、たびたび夢を見る。本の続きを読んでいるという夢なのだ。
つまり、未だ読んでいないところを、夢に見る。
あるときは、本を読んでいるという夢ではなくて、自分自身が、このアメリカ社会に生きているという夢であったりする。

虚構の記憶が、夢という虚構の中で自律運動する。
優れた描写というのは、人の精神を狂わせるものらしい。

ところで、この本を読んでいて、「宇宙大作戦(Star Trek)」のあるエピソード(リンク先はYouTube)を思い出した。

2017-05-24_150700.jpg 錯乱して時空の歪みに入ったドクター・マッコイは1930年代のアメリカにタイム・スリップする。放置すると、マッコイにより歴史が改変されてしまう。このためカーク船長とスポック副長はマッコイを追う。そこでカークは平和運動家の素敵な女性(Edith Keeler)と出会い、恋心を抱く。
歴史の改変とは、事故死するはずの彼女がマッコイによって助けられ、彼女の反戦運動により、アメリカの第二次大戦への参戦が遅れ、ナチスが核を開発し、世界を征服してしまうことである。
ようやくマッコイを見つけたカークとスポック、そこへ歩み寄るキーラー、接近する車。キーラーに危険を知らせようとするカークをスポックが制止、助けようとするマッコイをカークが抱き止める。歴史は改変されずにすむ。

("The City on the Edge of Forever" 1967)


「プロット・アゲンスト・アメリカ」でも、結局、本来の歴史の流れに戻るわけだが、ネタバレになるので、このあたりで記事は終りにしよう。
あらためて、小説の持つ力というか、作者の筆力というものが、侮れないと感じさせられた。

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梅雨入り

tenkizu17060709.png 昨日、四国~関東甲信で梅雨入りしたと見られると、各気象台が発表した。

と見られる」んだそうだが、この言い回しは何時頃からだろうか、昔は、潔く「梅雨入りしました」と言い切っていたのだけれど。

梅雨入りしたと言ったのに、雨が降らないというようなことでクレームが多かったのだろう。一時は「と見られる」すら使わず、梅雨入り宣言を全くやめていた。

気象庁が使う言葉は、日常語のようでいて、結構、難しい。
昔から「晴れ時々曇り、所により雨」という万能(?)予報で、いったいどうなんだと揶揄されることもあるが、気象庁は、内部的にどういうときにどういう言葉で表現するかは決めているそうだ。
kashi201706070900-00.png
時々 現象が断続的に起こり、その現象の発現期間の合計時間が予報期間の1/2未満のとき。
所により 現象が地域的に散在し、複数の地域を指定して表現することで冗長な表現になる場合に用いる。 天気概況などで必要に応じ、「・・‥所がある」のように言い換えをしてもよい。たとえば、「所により雷を伴う」は「雷を伴う所がある」としてもよい。
(気象庁予報用語)

誤解を招く表現は、諸事情を反映して修正されてきている。
「弱い台風」という言い方は今はしない。弱いから大丈夫だと考える人が居るからである。
気象庁ではないが、市町村長が発する「避難準備情報」は、準備しておけば良いという誤解が避難の遅れを招いたとされ、「避難準備・高齢者等避難開始」に名称が変更されている。

ところで、暦の上(雑節)での入梅は、「太陽の黄経が80°に達する日」と定義されていて、今年は6月11日だそうだ。

「入梅いうてんのに雨降らんやんか」と文句を言いたい人はどこにクレームをつけるんだろう。


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スーパーツィーターの追加

修理から帰ってきたTANNOY Arundel、前はエッジが傷んでたので手をかける気もなかったが、修理も済んだので、ちょっと良くならないか考えた。

前から気になってはいたのだけれど、要するに、音の抜けが悪い感じ、というかちょっと頭を抑えられたような感じがする。これは、スーパーツィーターを追加したら改善されるかもしれない。
そもそも、Arundelは古~いスピーカーで、いわゆるハイレゾ対応というわけではない。素性は良くても、鈍重ということかもしれない。

そう思って、ダメもとでやってみることにした。Arundelをバラしてネットワークを組み替える(つまり改造)などはやる気がないので、単純に追加で置けるものを探した。

P_20170603_110341_vHDR_Auto.jpg TANNOYにもスーパーツィーターがあるけれど、バカ高いのでパス。
いろいろ探していると、TAKET-BATPRO2という製品に行き当たった。ペアで42,023円(Amazon)。

メインのスピーカーにパラでつないでも良いけれど、今使っているアンプ(ONKYO A5-VL)はスピーカーが2系統つながるようになっているので、比較試聴することも考えてアンプに接続。
(TAKET-BATPRO2側にもレベル・スイッチがあって、OFFにもできるけれど)

Arundelの周波数特性は30~20,000Hz、BATPRO2は18,000~150,000Hz(測定限界)。
私も加齢により、耳は悪くなっていて、10kHzぐらいまでしか音として認識できないから、このスーパーツィーターの音域は私には音として全く聞こえない。

というか若い人でもほとんどの人は音として認識できないだろう。思えば、昔のカセット・レコーダーなどは16kHzまでしか録音できなかったわけで、このスーパーツィーターは超音波領域専門。
なので、結線に不具合がないか調べようとしても、通常の音源ではこのスーパーツィーターからは全く音が聞こえない。そこで、PCのオシレーターソフトを使って、10kHzの正弦波を送り込んでみたら、ようやく、鳴っていることが確認できた。

このように年寄りには音として認識できない10kHz以上にこだわってスーパーツィーターを追加するなんて無駄じゃないのかと言われそうだけれど、そもそもハイレゾというのは可聴帯域外の音まで再生することで、聴きやすい良い音として感じるというところに意味がある。アナログの場合は、高調波成分は少しでも残っていると思うが、デジタルでは原理的に高調波を含まないから、ハイレゾには意味があるとも考えられる。

それなら、同じような理屈で、年寄りが音として感じない10kHz以上の再生も無駄ではないだろう。
また、高調波成分は単音としては感じないかもしれないが、波形には影響しているはずで、音として感じるかどうかとは別の作用だという考え方もできるかもしれない。

まぁ、繰り言はそのぐらいにして、実際に聴いてみる。
まず、Arundelを切って、BATPRO2のみで聴いてみた。
もちろん、何にも聴こえない。

次に、ArundelをONにしてみる。
音源は、いつもテストに使う、LPからデジタル化した24bit/96kHzの「金と銀」(ボスコフスキー/ウィーンpo)。特に低弦の自然な音をチェックしたい。
ん~ん、良い感じ。

スーパーツィーターを追加してまず低弦をチェックするというのも変なのだけど、キラキラした部分もある曲なので、高音域の伸びもわかりやすい。なにより聴き慣れている分、評価しやすい。

特別に変わったという印象はないのだけれど、心なしか抜けが良くて、圧迫感が低いと感じた。

そして、BATPRO2をオフにしてみる。
あれ、あんまり変わらんやんか。

BATPRO2のオン/オフを繰り返しても、もう一つ音の違いがわからない。
ネットでは劇的に変わるという評価が多いのだけれど。
あらためてArundelって素性が良いスピーカーなんだなぁと思う。

少々落胆したが、悪くなるわけではない。

実は、ArundelはTANNOY独特の同軸2wayで定位の良いスピーカーなのだけれど、3本目のスーパーツィーター追加で定位が悪くなるか心配していたが、そんなことはなく、むしろ音像がクリアになった印象さえある。

なので、気を取り直して、せっかく買ったのだから、気に入らなくなるまでBATPRO2をオンの状態で使うことにして、別の音源を試してみた。
5113oEiKSbLSY355.jpg ということで、ダイナミックレンジが広大で、繊細な音を含むものが良いだろうと考えて、久しぶりだけど、「幻想交響曲」(Yannick Nezt-Seguin/Rotterdam Philharmonic)を聴いてみた。
オーケストラがフォルテでもハープが鳴っていることがわかる。他にも、今まで気づかなかった音が大量に見つかる。低弦の動きがくっきりとしてくるし、ロングトーンではステージを漂う雰囲気が伝わる。第五楽章、わざと下品な音を出しているクラリネットにニンマリする。

テストのつもりだったけど、結局、全曲を聴いてしまった(だから第五楽章のクラリネットにニンマリしたわけだ)。

やはり、抜けの良い音になっているようだ。長時間聴いていても圧迫感がなく、疲れない(曲そのものは大迫力で疲れるものだけれど、別の意味で)。やはり、しっかりと効果があるようだ。

どうやら、完全なハイレゾ対応になったと言えるのではないだろうか。

ところで、上記の「幻想」は、SACDなのだけれど、安物のユニバーサル・プレイヤー(SONY BDP-S370)しか持っていないので、実は、CD音質でしか出ていない。それでも、これだけの音が出てくるのだから、ちゃんとしたプレイヤーだったらどうなんだろう。

SACDプレイヤーというのは飛びぬけて高いものばかりなのだけれど、デジタル出力に特化したらそんなに高価な製品でなくても十分作れるのではないだろうか。技術的に正確なことは知らないが、アンプへのデジタル出力(S/PDIF)というのはLPCMで流しているだろうから、その精度(量子数と標本化周波数)だけが問題になるように思う(ONKYO A5-VLのデジタル入力は、24bit/96kHzまでのPCM信号に対応)。SACDのDSDフォーマットからLPCMに、なるだけ品位を落とさないで変換できれば良い。そして、それに違いがなければ、安物のユニバーサル・プレイヤーでも何十万円もするSACDプレイヤーでも同じじゃないだろうか。


今まで私としては、別室においてあるTANNOY Autograph mini+YAMAHA NS-SW200(サブウーファー)の方がメインで、リビングのArundelはサブという位置づけだったのだけれど、どうも逆転した感じ。

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FLEVOの評価

P_20170516_195834_vHDR.jpg Ploom TECH(ただしパチモン)も手に入れたので、FLEVOについてはもうどうでも良くなったような気もするが、先日、予告したので、FLEVOの評価。

本記事が遅くなったのは、各種のフレーバーの比較も書くつもりが、Ploom tech(パチモン)を手に入れたことで、そちらが優先して、FLEVOはほとんど喫わなくなったので、フレーバー比較が未だできないから。昨日、Ploom TECH(パチモン)の記事をアップしたので、このままでは書く機会を失いそうなので、取り急ぎ器具の感想を中心にアップ。


まず、FLEVOという商品の説明を少し。
先日も書いたとおり、FLEVOは、カートリッジに入っているフレーバー(液体らしい)を加熱して、発生するフレーバー(蒸気)を吸引するものである。

カートリッジ1本で、240回の吸引、普通の煙草1箱分に相当する吸引ができるという。
本体フル充電で、200回吸引できるというから、カートリッジ1本には少し足りない。充電切れで先端の青いLEDが点滅するらしいが、この状態になったらもう吸えないようだが、12回ぐらい吸えるようにしておけば良いと思う。

カートリッジは3種類、タバコフレーバー、メンソールフレーバー、ビタミンベリーフレーバーとある。
スターターキットには、タバコフレーバー1本、メンソールフレーバー1本が付いてくる。

交換カートリッジはどの種類でも、5本入りが1598円(税込)、1本あたり320円だから、普通のたばこよりも安い計算。スターターキット1058円(税込)にはカートリッジが2本付いてくるから、カートリッジがかなり割安で購入できているということになると思う。もちろんこれはメーカーの戦略であるに違いない。

さて、使った感想。
意外なことに、ニコチンが含まれていないはずなのに、なんとなく煙草を吸ったような気にはなる(個人の感想であり効能を保証するものではありません)。

ノンアルコールビールを飲んで、ビールを飲んだような気になる、これも個人の感想だけれど、それと同様である。(昔のノンアルコールビールはまずかったけれど、最近は随分改良されている。)


深く吸引すれば、盛大に湯気(蒸気)が出る。煙草っぽいといえばそうだが、これが実は周囲には邪魔になりそう。

フレーバーの種類別にいうと、タバコフレーバーは、カラメルのような匂いがする。
やや甘ったるい。あんまり上品な感じはしない。
メンソールフレーバーは、未だ試してない。また、ビタミンベリーも別途購入しなければならないから試していない。

変に甘そうな名前なので、別途購入する気はないけれど、1度くらい試しても良いと思うので、320円分くらい高くなっても、スターターキットに3種類そろえたほうが良いのではないだろうか。(プルームは、お試しで6種類入っていた。もっともFLEVOとは違って、1個がタバコ1本相当だけれど。)


さて、FLEVOを使ってみようと思ったのは、煙草が嫌いな人と同室でも大丈夫かということ。
二言目には、副流煙が悪いと言われるので、害のない蒸気ならばそういう攻撃は受けないものと淡い期待を抱いたが、やはり、甘かった。
「この下品な臭いは許せない」である。iQOSにも文句を言うが、iQOS以上に評判が悪い。
たしかに私も少々ねばつく臭いだと思うけれど、そこまで下品だろうか、やはり、坊主憎けりゃ袈裟までの類なのかもしれない。
FLEVOホームページのQ&Aでは、

タバコではないので禁煙場所で吸っても問題ありませんが、
煙の様に見える水蒸気が発生しますので、使用する際は周囲の方のご迷惑とならないように気をつけてご利用ください。
公共施設や店舗では、その場所の管理者にご確認の上ご利用ください。

とあるのだけれど、実態的には難しいだろうと思う。
違法でなくても、周囲の人の受け止め方次第、ダメといわれたら引き下がらざるを得ない。

タバコじゃないんだから、煙(蒸気)と香りが控え目とか、タバコからかけ離れていたら良いんじゃないか。
煙草にこだわらず、自由にフレーバーを開発したらどうだろう。たとえば、女を(男を)狂わせるような香りのフレーバーとか、あるいは、すき焼き味とか、うなぎ蒲焼味とか(周囲の人も食欲が湧くのでは)。
蒸気も、もっと薄いものとか、目立たないものとか、逆に、狼煙みたいなものとか。

それにしてもこの器具は良くできていると感心した。
Ploom TECHと同じく、FLEVOもスイッチ類はどこにもない。
フレーバーを吸えば、自動で通電され、蒸気が発生する。吸引をやめればすみやかに消える。
iQOSのように充電を待つ必要もない。

というか、FLEVOの使い勝手に感心したから、Ploom TECHも試してみようと考えたわけだけれど。
Ploom TECHの発表のほうがだいぶ早いから、FLEVOはこれを模倣したのかもしれない。


メーカーのページでは、「FLEVOのフレーバーリキッドは日本食品衛生法で認可された成分のみを使用し、日本国内の工場で開発・製造されています。」とあるのだが、僅かな電気加熱で速やかに蒸気になるというのは、溶媒として一体何を使っているんだろう。

使用上の注意としては、発生する蒸気が発生源ではかなり高温らしく、連続吸引したり、吸い込み方によってはかなり熱いこと。
あんまりせっつくように吸わないほうが良い。

数日、煙草を完全に絶って、FLEVOだけで過ごしてみたらどうだろう、もしそれで問題がなければ、ランニングコストはずっと安上がりだし、灰も出なけりゃ、ライターも要らない。
(とはいうものの実行する勇気は、今のところない)

将来、もしこの種の商品が一般化して、煙草が絶滅していたら、こんな会話が交わされるのでは。
子:お父さん、何喫ってるの、おいしいの?
父:フレーバーというものだよ。おいしいというより、落ち着くんだよ
子:僕も喫いたい
父:ダメだよ、これは20歳以上しか喫っちゃいけないきまりなんだ
子:どうして、子供には悪いの?
父:そうじゃないけど……、昔の名残さ
子:昔の名残って?
父:昔は、こんな形のもので、やっぱり喫って楽しむ煙草というものがあったんだよ
子:それで?
父:その煙草というものには、ニコチンとか、タールっていう体に悪いものが入ってたんだ
子:へぇ
父:大人にも有害だけれど、子供にはもっと大きな害があったから、子供は絶対に喫っちゃダメだったんだ
子:それで煙草というのがなくなったんだね
父:そうだよ、でも煙草もこのフレーバーと同じように、気持ちを落ち着かせたりする効果もあってね
子:じゃあ、煙草の代用品っていうこと?
父:そうだね。だから、害がなくても、昔の名残で子供は禁止になっているのさ
子:フレーバーってどうやって作ってるの
父:よく知らないけど、いろんな植物とかから抽出した成分を揮発性の何かに溶かしてるんだと思う
子:煙草はどうだったの?
父:煙草は自然に生えている煙草という植物があって、それを乾燥させていた
子:じゃあ、煙草は自然食品みたいなものだったんだね
父:そうだね

だけど、やっぱりニコチン入りのPloom TECHの方が良いなぁ。

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Ploom TECH、ただしパチモン

P_20170601_195047_vHDR_Auto-crops.jpg 電子タバコの一種、Ploom TECHという商品があるということは、前から知っていたけれど、タバコとしての充足感はiQOSには及ばないという評価、また、品薄で簡単には手に入らないということもあって、しばらく忘れていた。

ところが、先日、ニコチンのない単なるフレーバーで、タバコのような商品FLEVOを衝動買いしたところ、Ploom TECHを思い出して、少し調べてみた。

やはり、Ploom TECHの器具(スターターキット)は品薄で、今は抽選販売になっているのだが(私も応募している)、FLEVOの商品説明に「Ploom TECHとの互換性はありません」とあり、そのことでかえって気づいて調べてみると、Ploom TECHの互換品、ようするにパチモンが沢山売られている。

それではと、私もパチモンを買うことにした。(抽選販売の当落は6月28日に発表。それまで待ちきれない)
パチモンについてのネット通販の書き込みでは、問題ありません、という評価に混じって、動作しなかった、とか、すぐダメになったとかいうのもあってちょっと不安だった。ダメでもいいやと、一番安い1000円のものを購入した。もちろん併せて、JTのオンライン・ショッピングで、Ploom TECH用のたばこカプセルも購入した。

待つこと3日で、両方とも届いた。
まず、バッテリーへの充電だが、もともとある程度充電されていたのか、30分でランプの色が赤から青に変わった。充電完了ということだろう。

P_20170601_200637_BF-crop.jpg 早速試してみた。
Ploom TECHは、臭いが極めて少ないことが売りである。
煙(蒸気)が見えるとすぐにバレるだろうから、陰で一服したところ、煙草に敏感な家人も気がつかない。

別に隠れて吸おうという魂胆ではないけれど。

喫ったときに、煙草の箱を開けたときに感じるような臭いがするが、たしかに微かな臭いという範囲だろう。

意外に煙草らしさもある。
普通のシガレットと比べると、たしかに物足りなさも感じるけれど、もし煙草をPloom TECHから経験していたとしたら、これはこれで満足できるかもしれない。

FLEVOもそうだが、この種の器具は、スイッチなどは無く、吸えばその空気圧でだろう、スイッチが入るようになっている。これはとても便利である。
ライターは要らないし、灰も出ない。2,3服して中断して、置いても問題なし。
これ一本持っていれば、どこでも煙草を楽しめる。

問題はココである。
昔、JTというか専売公社のコピーに、「タバコは人生の句読点」というのがあった。
仕事その他の活動をしているときに、ふと、気を紛らわせるようにタバコに火を点け、2~3分、静かにたのしむ。

これが、Ploom TECHだと、1本という単位にならない。
1つのたばこカプセルで50パフ(吸引)、これはシガレットの4本分ぐらいに相当するという。(たばこカプセルは5つ460円、つまりシガレット1箱分相当)

とくに、近年は、タバコを吸う時空が限られ、結果、だいたい同じ時刻に喫うようになっていて、そのときに1本のタバコに気持ちを込めて喫うようになっているのだけれど、Ploom TECHのように、どこでやめても良いようなものだと、だらだら喫うことになって、このタイミングがとりづらいように思う。
シガレットと同じように喫えば、つまり、ゆっくり、深く、10パフぐらいして自らを満足させる、そういう喫い方をすればよいのかもしれない。

50パフでたばこカプセルを交換することになるらしい。ただし、1パフは2秒間の吸引ということで、ゆっくり喫う私などは3秒は喫うから、30パフぐらいで交換することになる。正規品は50パフで警告ランプが点くらしいが、このパチモンではそういう機能はない。微妙な味の変化を感じて交換すれば良いのだが、慣れるまではパフ数を数えなければならない。
また、加熱蒸気の発生源であるカートリッジ(アトマイザー)は250パフで尽きる。たばこカプセルの前にカートリッジが空になってたばこカプセルが余るという事象が多いらしい。


JTのオンライン・ショッピングでは、3種類のたばこカプセルがあるようだが、今回は、レギュラーだけを購入した。もともとメンソールタイプはあまり好きじゃないからだけれど、レギュラーにもう少しバリエーションがあっても良いのではないだろうか。やはりピース風とか。

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ポピュリズムとは何か

先日のフランス大統領選では、ポピュリズム政党といわれる国民戦線のルペン氏は敗れた。
その前、こちらも心配されていたオーストリア大統領選でもポピュリズム政党は敗北している。
昨年のBrexit、イギリスのEU離脱国民投票が、世界を驚かせ、この流れが各国に波及するのではと心配されていたところである。

そういうと、ポピュリズムは悪と断じているように聞こえるが、それはメジャーなメディアの意見にすぎないかもしれない。というのは、ポピュリズムはそもそもエリートを敵視しており、敵であるジャーナリズムによる評価なのだから。

ポピュリズム【Populism】
①1890年代アメリカの第3政党、人民党(ポピュリスト党)の主義。人民主義。
②(populism)1930年代以降に中南米で発展した、労働者を基盤とする改良的な民族主義的政治運動。アルゼンチンのペロンなどが推進。ポプリスモ。
(広辞苑第五版)
そもそも辞書をひけば、ポピュリズムという言葉は必ずしも悪とされていない。
ただし、マスコミ用語としては、ポピュリズムの日本語訳は「大衆迎合主義」とされたりしていて、あんまり良い訳はあてられていない。「迎合」というと、自分には確たるポリシーがなく、単なる人気取りのような印象になる。(もっとも、私は「迎合」ではなくて、大衆を扇動する政治手法だと思うから、良し悪しはともかく、この訳語は気に入らない。)

Populism_towa_nanika.jpg 水島治郎「ポピュリズムとは何か ―民主主義の敵か、改革の希望か」によると、ポピュリズムの定義は、着眼点によって2つのものがあるという。

第一の定義は、固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイルを言うもので、リーダーの政治戦略・政治手法としてのポピュリズムに注目する。

第二の定義は、「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動をポピュリズムととらえる定義である。政治運動としてのポピュリズムに重点をおく立場である。

そして、本書では、この第二の立場を基本としている。そのほうが、ポピュリズムが広がる必然性というか、時代の流れをとらえる視覚を与えるからだという。
そしてポピュリズムの主張の中心、というか依拠するところは「人民」なのだけれど、この「人民」がポピュリズムではどう理解され、扱われているのかが、説明される。
  • 普通の人々(ordinary people)
    特権層に無視されてきた「普通の人々」、サイレント・マジョリティ、その意見や不満を代弁する。
  • 一体となった人びと(united people)
    特定の団体や階級ではなく、主権者たる国民、人民を代表する。個別利益ではなく全体利益を代表すると自らを表象する。民意が多様であるとみなす「多元主義」の対極にある。
  • われわれ人民(our people)
    何らかの同質的な特徴を共有する人々を意味し、それ以外の人々と「われわれ」を区別する。

私自身は、この「人民」でも、それに対峙するエリート側の人間でも、どちらもしっくりこないように思っている。だからだろうか、二分法で単純化することに、ポピュリズムの論理的欠陥を感じてしまう。
ポピュリズムに眉をひそめる人の多くはそうなんじゃないだろうか。(そう言うと「おまえはエリート側だ」とかそうでなくても「エリート側に洗脳されている」と攻撃されるような気がするけれど)


第1章 ポピュリズムとは何か
第2章 解放の論理
―南北メリカにおける誕生と発展
第3章 抑圧の論理
―ヨーロッパ極右政党の変貌
第4章 リベラルゆえの「反イスラム」
―環境・福祉先進国の葛藤
第5章 国民投票のパラドクス
―スイスは「理想の国」か
第6章 イギリスのEU離脱
―「置き去りにされた」人々の逆転劇
第7章 グローバル化するポピュリズム
本書では続けて、ポピュリズムが、単なる迎合や扇動ではない、やはりデモクラシーなんだということが理解できると同時に、このように偏狭でもデモクラシーだと主張する立場が説明される。実際、反移民や福祉排外主義というのを正当化するのに、デモクラシーやリベラルの論理が使われているという。

本書の冒頭に、

「日本人には民主主義が根付いていない。民主主義が国民に根付いていなかったら政治なんて良くならないし、政治が良くならなければ日本も良くならない」

という橋下元大阪府知事の言葉が紹介されている。この陳述自体には変なところはないけれど、橋下氏のスタイルが従来の感覚の民主主義とは随分違っていて、違和感を覚える人も多いのではないだろうか。

しかし、上のように、ポピュリズムもデモクラシーだということもできる。
「民主的」というのは、人それぞれ違っている。
「民主的体制」が必ずしも「民主的」な国を保証するわけではないし、その逆もまた成り立たない。
そうなると、民主主義に至高の価値を置くというのはわけがわからなくなってしまう。

本書の扉に、「ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」(マーガレット・カノヴァン)という言葉が書かれている。
最初にこれを読んだ時には、一体どういう状況を指しているんだろうと思ったけれど、デモクラシーとポピュリズムの関係は、人間の良心と偏狭の関係ぐらいに切り離せない、人間の業なのかもしれない。

でも、やっぱり思う。政治というのは異なる利害集団を調整するものだと思うから、ポピュリズムが異物を排除するものなら、それはもはや政治ではない。従ってデモクラシーでもない。それは内なる戦争ではないだろうか。ポピュリズムがその戦争に勝ったとして、それを支持した人民は幸福になるだろうか。

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パスワードは定期的に変更してはいけない

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「パスワードは定期的に変更してはいけない」
--米政府
<アメリカの電子認証専門機関が、定期的なパスワード変更の推奨をやめると決めた。エンドユーザーもいずれ、代わりの新しい「パスフレーズ」を要求されるようになるはすだ>

米政府機関はもう、パスワードを定期的に変えるのを推奨しない。アメリカの企画標準化団体、米国立標準技術研究所(NIST)が発行する『電子認証に関するガイドライン』の新版からルールを変更する。
ウェブサイトやウェブサービスにも、サイトが乗っ取られたのでもない限り、「パスワードが長期間変更されていません」などの警告を定期的に表示するのを止めるよう勧告するという。銀行や病院のように人に知られてはいけない個人情報を扱う機関も同じだという。

実は近年、情報セキュリティー専門家の間でも、特別の理由がない限り、ユーザーにパスワード変更を求めるべきではないという考え方が増えてきた。なぜなら、ユーザーは新しいパスワードをいい加減に作る傾向があるからだ。どうせ数カ月後に変更を求められると思えばなおさらだ。

「パスフレーズ」の普及を

ノースカロライナ大学チャペルヒル校の調査によると、定期的にパスワード変更を求められると、人々は多くの場合、まったく新しく作り直すのでなく、同じパターンで少しずつパスワードを変更する。どこかの1文字だけを順番に変えていくなどのパターンになりやすい。

仮に、まったく新しいパスワードを作るよう求めても結果はあまり変わらない。ハッカーはどちらのパスワードでも容赦なく解読してくる。つまり、パスワードの変更はハッカーよりユーザーに不便を強いる。
定期的なパスワード変更を止める代わり、NISTは最低64文字でスペースも入れられる「パスフレーズ」を推奨する。フレーズにすれば長くても覚えやすく、桁数が多いので解読されにくい。

NISTからの通達が出回れば、定期的なパスワード変更の代わりに「パスフレーズ」を求めるサイトやサービスも増えてくるだろう。
ニューズウィーク日本版 5/23(火) 15:00配信
ようやくまっとうな勧告を目にした。
パスワードの定期的な変更は不要という勧告で、米国の認証機関が出したもの。

私は以前から、パスワードの定期的な変更については、本当に必要か疑問に思っていたので、こういう勧告が出ると、やっぱりそうだろうとガッテンした。

もちろんパスワードの変更が全く、露ほども意味がないと言うつもりはない。
この記事でも、しょっちゅう変更を求められると、いい加減なパスワードを使いがちになるという副作用に重点を置いているわけで、副作用がなければ、変更に問題はない。「変更すべきでない」は言い過ぎのようにも思う。

パスワードの変更の効果について、簡単な計算をしてみよう。
まず、パスワードになりえる文字列の総数がN 個だったとする。
クラッカーは自分で決めた順番で、この全文字列を一つ一つテストするものとする。
さて、クラッカーがm 個のテストを終了して、未だクラックに成功していないとする。
この時、パスワードの変更はどういう効果があるだろう。

パスワードを変更しない場合は、m 個まではパスワードでないことが解っていると言う条件でのクラックとなるから、残りのテストでパスワードにヒットする平均試行回数は、Nm)/2 である。
パスワードを変更する場合は、クラッカーのm個までのテストはリセットされることになるから、パスワードにヒットする平均試行回数も、元のN/2 にリセットされる。
つまり、平均試行回数はm/2 だけ長くなる。

そら、ちゃんと効果があるじゃないか。
だけど、実際に数値を入れて見る。
たとえば、英数字の36種類の10桁パスワードを使うものとすると、N は36^10=3,656,158,440,062,976≒3656兆個である。
今、クラッカーは1秒間に100万回のテストができるものとしよう。
平均試行回数N/2=1828兆回をこのスピードで実行したとすると、1,828,079,220=507,800時間=21,15858年である。
よくパスワードを90日で変更しろというが、平均試行回数はm/2 だけ長くなる、平均試行時間は90/2日、つまり、45日ほど延びるわけである。
58年=21158日に対する45日だから、0.2%ほど安全度が高くなるというわけだ。
5年ほどパスワードを変更していなかったら、クラックされる危険は10%ほど高くなるとも言える。

ただし、これはクラッカーがずっとこのユーザーIDのパスワードクラックをずっと続けている場合の話だから、余程執念深いクラッカーに狙われでもしない限り、ちょっと非現実的なようにも思う。

上では、テストスピードは100万回/秒としたけれど、これはさすがに凄すぎると思う。そんなに早いレスポンスのサービスはちょっと考えられない。せいぜい1000~10000回というところだろう。だとすると、平均試行時間は当然2~3桁(5800~58000年)長くなる。


2017-05-31_085041.jpg ただ、もし、自分が登録しているサイトのパスワードデータベースが漏洩してしまったとしたらどうだろう。
この場合は、ネットからパスワードのテストをするのとはわけが違い、テストスピードをはるかに高速化することができる。平均試行回数は同じでも、平均試行時間は1000分の1にできるかもしれない。上の数値例なら、21日でクラックされる。
管理者は、漏洩事件を起こしてしまったら、直ちに公表し、パスワードの変更を求める必要がある。

職場などで、隣に座っている職員が横目で見る、あるいは同僚のクセを知っているというような場合も注意すべきだろう。こういう場合は、ときどきパスワードを変えるのは、同僚を信じられないのならだけれど、効果があるかもしれない。

重要なのは、IDが共用されるような場合。複数人が同じID/パスワードで利用しているようなケースだと、人の異動があるなどすれば、当然変更(そして利用者全員に通知)しなければならない。とりわけ、初歩的だが後を絶たないといわれている、委託先などのシステム開発者、rootとかAdministratorのパスワード。権限が強いのに、本当に誰がこのIDを管理しているのかが実は曖昧という場合がある(開発終了後に放置されていることも起こる)。致命的な欠陥である。

なお、件の勧告は、パスワード変更よりも、パスワードをパスフレーズにすることを推奨している。
これはユーザーだけでなく、サービス提供者側に発せられているものと思う。
今までせいぜい10数桁までのパスワードを使っていたシステムに、十分な長さのパスフレーズが受け入れられるように改善しなさいということである。

パスワード管理ソフトを使っているので、私自身はあまりやらないけれど、パスワードの作り方として、パスフレーズの頭文字などを使うというやりかたがある。
たとえば、

Aoniyoshi Nara no Miyako no 8ezakura Kyou 9e ni Nioinurukana ⇒ANnMn8K9nN

などである。
パスフレーズ対応がなされるまで、こういうやりかたも良いかもしれない。
パスフレーズで良く使われるセンテンス集、なんてのも出るだろうけど。

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SoftBankユーザーは怒らないのだろうか

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ソフトバンク 前副社長に報酬など349億円余支払い
大手通信会社、ソフトバンクグループがおよそ1年10か月在職し去年退職した前の副社長、ニケシュ・アローラ氏に報酬など合わせて349億円余りを支払うことがわかりました。
ニケシュ・アローラ氏はアメリカのIT大手「グーグル」で上級副社長を務めたあと、次期社長の有力な候補として入社しおととし「ソフトバンクグループ」の副社長に就きましたがその後、孫正義社長がみずから社長を続ける意向を示し、去年6月、突然、退任しました。
ソフトバンクグループはすでにアローラ氏に対し報酬や退職金など合わせて314億円を支払うとしていましたが、これに加えて去年4月から6月までの報酬として14億9900万円。
また、すでに50億円を支払っている退職金についても株価の上昇を受けて積み増し、合わせて88億4700万円を支払うことになりました。
これによりアローラ氏が受け取る報酬などはおよそ1年10か月の在職で合わせて349億4400万円に上ることになります。
NHKニュース 5月31日 17時05分
テレビのニュースを見ていたら、ソフトバンクの副社長アローラ氏が、就任して1年10ヶ月で退任するのだけれど、この間に得た報酬が349億円だという。

所得番付が、プライバシー保護とかで発表されなくなってから、役員報酬が高額化する傾向にあるそうだが、この額にはびっくりである。
349億を単純に月割りすると16億円、日割りすると5200万円。

SoftBankの携帯電話の契約者数は4000万人ぐらいだそうだ。
契約者全員に870円余の一時金を払える。

私は、関西デジタルホン時代からだから、20年近く(J-PHONE、Vodafoneを経て)、SoftBankユーザーだったけれど、昨年、とうとう解約して、MVNOに乗り換えた
新規や乗換のユーザーにはいろんな特典が用意されているけれど、長期契約者にはそういう恩恵が全く感じられなかった。そっちがその気なら、こっちも義理立てする必要はない、というわけだ。

ついでに、通販でAmazonと並んでYahooショッピングを良く使っていたが、こちらも楽天に替えることにした。カード会社が勝手に変わって面倒な手続きをさせられたことと、タダだったETCカードが有料化されたということもある。
これからは鷹(Hawks)より鷲(Eagles)だ。


アローラ氏がどれだけSoftBankに貢献したのか、その報酬が適正なものだったのか、そんなことは知らないけれど、SoftBankユーザーを馬鹿にしているように思わないのだろうか。
それとも、それほど儲かっている企業だから、安心だとでも思うのだろうか。

私はSoftBankユーザーじゃないから別に良いけど。

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コンテンツに合せた上映設備

IMG_20170527_145009.jpg 先日、久しぶりに映画館(シネマコンプレックス)へ行って「美女と野獣」を見たことは既に書いたけれど、ちょっとここのシネコン(TOHOシネマズくずはモール)で、不満に思ったこと。

このシネコンは10スクリーンあるのだが、「美女と野獣」は"SCREEN 6"で上映されていた。
で、映画館でいつも思うのだけれど、音が大きすぎる。そして割れて、ガサつく。
また、映像も、やや動きがぎごちなく、精細度も低いように感じた。

このシネコンにも、1ヶ所だけ、TCX、ATOMOS対応のスクリーン(SCREEN 1)がある。
しかし、「美女と野獣」を上映していたSCREEN 6は、通常設備である。私が行ったとき、SCREEN 1で上映されていたのは、通常のドラマ作品である。

どうしてだろう?
たしかに、私が行ったとき、「美女と野獣」の観客は、314人収容の部屋で、せいぜい20~30人。封切直後はおそらく、相当の人数が押し寄せたものと思う。そして、その時には収容人数374人という、一番大きなSCREEN 1が使われたのではないだろうか。
部屋の広さだけで言えば、シネコン側の判断はそれなりの理由もある。

封切直後に観ておけば良かったんじゃないかといわれそうだけれど。やっぱり空いてるときに行きたいから。


10スクリーン・約2,000席の映画館。メインスクリーンに独自規格のラージスクリーン「TCX®」と関西で初めてドルビーの革新的なシネマ音響「ドルビーアトモス」を導入。全作品デジタルプロジェクターでの上映となり、3D映画や演劇・音楽・スポーツの中継などの新しいエンターテイメントの楽しみ方も提供していきます。
しかし、上映されるコンテンツの特性からすれば、ミュージカル仕立てで、音楽のウェイトが極めて大きい作品に対しては、やはり、Dolby ATMOSのスクリーンを使用すべきではないだろうか。

以前、このシネコンで"Mission impossible"を見たとき、オペラ場での銃撃シーンがあったのだが、このシーンで歌われていた「トゥーランドット」のアリアの音は、素晴らしかった。その時の会場はSCREEN 1、Dolby ATMOS音響だった。ここでオペラ映画をやったらどうかと思ったぐらいである。

目利きというか耳利きの観客なら、この設備を目当てに来場する人がいるものと思う。つまり、集客効果もあると思う。音楽に重点をおかないコンテンツに、SCREEN 1を使用するのは、勿体ないのではないだろうか。

この作品のように、映像と音楽の質にこだわったものが、本来の品質で上映されていないと知ったら、制作者は、がっかりするのではないか。
一定以上の上映品質が確保できないところでの上映を拒否したらどうだろう。
ディズニーなら、そのぐらいのことは、やれると思う。

Blu-rayが発売されたら、それを家で見る方が、映画館よりも、滑らかな映像、ダイナミックレンジが広く、繊細な音楽を楽しめるに違いない。

というか、TOHOシネマズくずはモールが、Dolby ATMOSで上映してくれるんなら、もう一回見に行くけれど。
このスクリーンを「美女と野獣」専用にするのが無理なら、上映スケジュールの調整でなんとかならないものか。

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最後の喫煙者

今日は5月31日、WHOが定める「世界禁煙デー」である。
ということで、喫煙者がどのような悲惨な末路を迎えることになるのか、生々しい筆致が読者にこたえる小説を紹介しよう。

the_last_smoker_Tsutsui.jpg 「最後の喫煙者」、筒井康隆の短編

筒井康隆といえば、「士農工商SF作家」という語呂合わせをしてバッシングされた経歴もあるように、自らをSF作家と言っているわけだが、SF(Science Fiction)=空想科学小説というよりは、「妄想破格小説」というほうがピッタリする。
もちろん私は大好きだ。

就職してから40数年、あまり小説は読んでいない。「事実は小説より奇なり」と思っているから、より面白いものは事実のほう、とりわけSFという分野では、科学的事実のほうが人智を遥かに超えて奇妙で、人間が思いつく程度の異常さなどたかが知れている。

しかし、この筒井の妄想の毒というか、この毒が生成されるメカニズムは、鳥のさえずりの如く、いつ終わるともしれず自己組織的にフィードフォワードされる。妄想破格小説である。

この小説は、何か煙草についてネットで調べものをしていたときに、たまたま存在を知ったものだけれど、驚いたのは、1987年に発表されたものだという。嫌煙家がボルシェビキになり、牙を剥くようになるのは、もう少し後のことである。

また、この年は、実は私が仕事で禁煙運動に関わるようになった年なのである。
仕事の上司・同僚、そのほぼすべてが禁煙運動家という世界である。
その中で、私は分煙が厳格に行われていた職場の喫煙コーナーでせっせと煙草を吸いながら、煙草の害をシミュレーションするアイデアを考えていたのだった。

さて、この小説では、健康ファシズムの「暴力」が描写されているのだけれど、私の上司である禁煙運動家の先生は、煙草は健康に悪いという主張はもちろん譲られないけれど、反社会的行為とまで糾弾されるようなことはなかった。

しかし、嫌煙家は、吸って死ぬのは本人の勝手、ではすませてくれない。受動喫煙(強制喫煙)と言って、同じ大気中に存在することを許してくれない(有害であることは私も認めるけれど)。
そして煙草の臭いが許せないという。これなど「坊主憎けりゃ袈裟まで」の類じゃないかと思う。

臭いを嗅いだぐらいの摂取で副流煙が身体に悪影響を及ぼすとも思えない。臭いは危険物のシグナルかもしれないが、検出即健康被害というわけではないだろう。煙草を吸わないけれど煙草の香りは好き(ヤニは臭いけど)という人もいる。先入観を捨てて香りを愉しむ余裕があっても良いのでは。
それに香りの好みは年齢・性別によっても違うといわれる。子供の頃は車の排気ガスの臭いが好きだったが、今は大嫌いということはままある。


アメリカ以外の地域では、何万年も煙草のない生活をしてきたのだから、煙草がなくなっても何の問題もない。それはそうなんだけど。
やはり今日も既に2本吸っている。

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生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像(その2)

中沢弘基「生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像」についての続き。

著者は、はじめに進化論(これは疑えないもの)を持ち出しながら、進化論は生命にだけ使える法則ではないと主張する。(これは私もそう思う。遺伝、変異、選択が存在するものには適応進化が起こる。)

IMG-cropsr2.jpg そして分子の自然選択が、どこで、どのような条件で行われたのかを考察する。
その鍵は、分子の親水性、疎水性という性質で、これが分子を並べるメカニズムとして作用しただろうとする。
こうしたメカニズムの一部は、実験でも確かめることができるという。

このような非生命体での進化を考えるのに、著者はエントロピーを持ち出してくる。

周知のとおりエントロピーは増大する(熱力学第二法則)。
物理法則は時間を逆転しても成り立つが、例外はエントロピーの増大則。時間の流れる方向を決定するのはエントロピーであるという哲学的洞察がある。

また、マクスウェルの悪魔が存在するなら、エントロピーを減少させることができる。悪魔が行う粒子選択活動のエネルギーが系の外から来るのなら矛盾はないと思う。


著者は、地球の歴史にもそれがあてはまっているはずと説き、エントロピーの収支を考えるなら、生命の発生は必然であるという。
このあたりは良くわからない。
本書でも引用されているように、シュレディンガーが「生物は負のエントロピーを食べて生きている」と言ったことぐらいは知っていたけれど、エントロピーというのは量としては実感できるようなものではないし、帳尻としてはエントロピーは増大しなければならないにしても、メカニズムの説明にはならないように思う。

「宇宙の熱的死」だってそりゃそうかもしれないが、それがどうしたという話。
熱的死を迎えないように宇宙論を作るというような発想もないように思うけど。

また、生命活動は地球の内部エネルギーよりも、太陽エネルギーを多く使っている(本書でもその説明はある)わけで、これとエントロピーとどういう関係にあるのか。太陽系全体としてのエントロピーは増大していても、地球はどうなのか。

というわけで、このエントロピーが歴史を動かすという発想は、著者の信念を支えるものだとは思うけど、具体的な科学的陳述としては、今一つピンとこない。
もっとも、エントロピーを持ち出さなくても、分子の自然選択というメカニズムは至極納得できるものである。

最後に、生命を構成する分子はなぜ親水性なのかという疑問についても、問を逆転させ、そもそも親水性分子から生命が構成されたからと説明される。昔から生命現象の一つの謎であるキラリティについても同様のスタイルで説明される。

例によって、私にこの説の真贋を判断する力はないけれど、なんだか、とても説得力を感じる。

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生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像

51EnxBfAoFL.jpg 中沢弘基「生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像」について。

生物学では、私の年代の者が高校で習ったことが大きく変わってきている。
その一つは、生物分類で、私の頃は植物界と動物界に大きく二分されていて、だからこそ、ミドリムシなど、ある種の生物については、植物か動物かというような論争があったわけだ。
ところが、今では、原核生物と真核生物に大きく分けた上で、原核生物に真正細菌と古細菌を、真核生物に原生生物界、植物界、菌界、動物界と6つの分類が最上位区分として設定されている。

しかも、キノコなどの菌類は、遺伝子的には植物より動物に近いということで、植物だと思い込んでいた私などはびっくり仰天、マツタケは胞子じゃなくて精子を出すのかと言いたくなる(下ネタ御免。なお、もちろん植物でも配偶子は精子と卵子と呼ばれる)。


また、私が高校のころは存在が知られていなかったというか、そんなところに生命体がいるとは考えられなかったところで、次々に生命体が見つかっている。

海底の熱水噴出孔に棲む生命とか、地中深く、地底微生物というものがいる。宇宙空間から隕石となって落ちてくる微惑星にも有機物がある。

そしてこうした特殊な環境の生命こそ、最初の生命の候補として脚光を浴びたりする。(最初の生命体は無機栄養でなければ理屈に合わない)

その生命の発生についてだけれど、本書でも紹介されているように、昔は、ミラーの実験のように無機物から有機物が合成されて、それが浅瀬などで水分の蒸発などで濃縮されたことなどが可能性として考えられていて、私も高校でそう教えられたと記憶する。

第1章 ダイナミックに流動する地球
第2章 なぜ生命が発生したのか、なぜ生物は進化するのか?
第3章 “究極の祖先”とは?―化石の証拠と遺伝子分析
第4章 有機分子の起源―従来説と原始地球史概説
第5章 有機分子の起源とその自然選択
第6章 アミノ酸からタンパク質へ―分子から高分子への進化
第7章 分子進化の最終段階―個体、代謝、遺伝の発生
第8章 生命は地下で発生して、海洋に出て適応放散した!
私が高校のときは既にDNAが発見されていて、DNAの複製や、RNAを介した蛋白質合成のメカニズムも授業で教えられていたが、その後、DNAは安定だが直接蛋白質合成にかかわらないから、最初の生命はRNAが本態ではないかとRNAワールドというのが提唱された。
あるいは、蛋白質こそ生命の本態と逆転して、スチュアート・カウフマンの自己組織系の話とかが興味を惹いた。

どれもこれも、そのときどきで、もっともらしい説と受け止められている(もっともらしくなかったら説にならない)。
というわけで、生物学の門外漢である私としては、結局、生命はどうやって誕生したのか、と半ばあきらめるような気持ちでいた。

本書では、上述の生命の起源論が一通り紹介され、その難点が指摘される。
そして、新しい生命の起源のストーリーが語られる。
(つづく)

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美女と野獣

P_20170527_145228_vHDR_Auto.jpg 昨日、思い立って、ディズニーの「美女と野獣」を見に行った。

例によって、会社の福利厚生で、700円。
土曜日だし、人気の高い作品なので、満員を覚悟して行ったのだけれど、拍子抜けするぐらい入場者は少なかった。

周知のとおり、この映画は1991年制作のアニメーション版のリメイク、実写化。
音楽は、そのときのものを基本に使っているらしい。
少し前、「題名のない音楽会」で、吹替版で野獣を演じる山崎育三郎氏が、作品の中心的なアリアを歌っていた(上手い)。

実写といっても、CG、特撮が多用されている。家具や食器が見事に踊る。
ディズニーのアニメでは、自然な動きにするために、人間の俳優が演じたものを基礎にアニメを作るという話を聞いたことがあるが、まさか燭台や時計、ポット、衣装ダンスやチェンバロを躍らせるわけにはゆかない。この見事な見せ方はディズニー伝統のように思う。

La bell et le bete 「美女と野獣」といえば、大昔のモノクロのフランス映画、ジャン・コクトー制作のものをテレビで見た覚えがある。
ディズニーのアニメ版も見たことがある。これは生命保険会社の鑑賞会の招待だった。
先日は、新しいフランス映画もテレビ放映されていて、それも見た。

テーマは本当にシンプル、愛は外見ではない。
「人は見た目が10割」という最近のはやりとはずいぶんちがう。
でも、ベル(エマ・ワトソン)は綺麗だし、野獣だって、なかなか美しい。やっぱり見た目?

Crane_beauty5.jpg 映画館でふと気が付いた。スクリーンが湾曲している。
周辺部も迫力ある画面で見られるようにだと思う。
そういえば、LGのテレビには、湾曲ディスプレイを使っているものがある。映画館ならともかく、家の居室でこれはどうだろう。
また、周辺部が歪んで、サッカーやラグビーだとラインが曲がるんじゃないだろうか。

もう一つ、美女と野獣というと、前から疑問に思っていることがある。
それは英語原題。"Beauty and the Beast"で、Beasttheが付いているのは、呪いで姿を変えられた、その野獣ということだろうけど、Beautyは、冠詞が付かないし、複数形でもない。ベルのことを直接的には指さないのじゃないか。

漠然と「美というもの」と「(その)野獣」というような意味なんだろうか。
このあたりの微妙な意味、英語に詳しい人、教えてください。

原作(フランス語)は、"La Belle et la Bête"で、Belleに定冠詞が付いている。
ということは、このBelleは主人公の固有名詞ではないということだろう。
英語とフランス語では冠詞の作用は違うのだろうけど。


【追記】

記事をアップしてから気づいたのだけど、冠詞でわかるように野獣(bête)はフランス語では女性名詞。
代名詞で呼ぶときは、elle(彼女)になるんだろうな。


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