草津・日光旅行-鳴き龍

Naki-ryu-net.jpg 日光東照宮の4回目。
今日は薬師堂の鳴き龍

今は個人がてんでに拍手するのは禁止で、説明の僧の拍子木で鳴き龍現象を確認するようになっている。そのためかお堂への入場は入替制で、暫く待って一団となって堂内に案内される。

お堂の天井に龍の絵が描かれている。
この龍は、ユーモラスな表情をしていると思う。以前、この龍の写真を雑誌か何かで見たときもそう思って、これ本当に日光の龍?、笑いをとるためにデフォルメしてるんじゃないかと考えたぐらい。

堂内は撮影禁止・録音禁止なので、右の写真はネットで拾ったもの。


さて、一団がお堂に入ると、僧から鳴き龍の説明がはじまる。

その様子がYouTubeにアップされている。

僧の説明のポイントは、

鳴き龍現象はトンネルなどで手を叩いても普通に起き、珍しいものではない。
ここの鳴き龍が珍しいのは特定のポイント=龍のお顔の下でしか現象が起きないこと。

そして僧が、拍子木を龍の顔の下で打ち合わせ鳴き龍現象を起こしたり、そのポイントから少し(1mぐらい)移動して現象が起きないことが実演される。

鳴き龍現象はフラッターエコーと呼ばれるもので、音が閉鎖空間内で壁に反射して起きるもの。僧が言うとおり、このエコーは、注意して聴けば室内で手を叩いても聴き取れることが多い。トンネルだと音の逃げ場がないから、強いエコーが続くことになると思う。

そして、ここの鳴き龍はなかなか見事である。
拍手だと最初の音が減衰しながら繰り返すが、ここの鳴き龍は、鈴鳴きといって、最初の拍子木の音とはニュアンスの異なるジンジンという音になる。

説明の僧は、欧米系の観光客(イタリア人と言っていた)を見つけて、英語でも説明していたが、英語ではjinglingと表現していた。ジングル・ベルのjingleである。

これはおそらく拍子木の音のスペクトルが関係しているのだろう。基音は拍手より随分高く、また倍音も多いからではないだろうか。

また龍の顔から外れたところで拍子木をたたいても鳴き龍はおきない。
いろんなサイトが鳴き龍の解説をしているが、いずれも天井に「むくり」という凹んだ部分があって、これが音をうまいぐあいに反射するとしている。
凹面鏡(パラボラ)のようなもので、焦点が龍の顔の下あたりにあって、拍子木の音は天井で反射したら、真下に落ちてくる、そしてそれが真上へ反射して……ということになるのかもしれない。
であれば、龍の顔の下からはずれるとむくりに音が当たってもそれは真っ直ぐ床に反射されることはなくて、周囲に拡散していくということだろうか。

170919_IMG_0437_Yomeimon_Ryu.jpg
薬師堂内は写真がとれなかったので、その代わり
こちらは陽明門をくぐった天井に描かれた龍
薬師堂は一度焼失しているそうだ。焼失前から鳴き龍が有名だったので、再建時には鳴き龍も復元したわけだ。
全国で30例ほど鳴き龍現象があるというけれど、昔のお寺は計算して鳴き龍を起そうとしたというより、後から現象に気づいて名所になったのではないかと思うけれど(もちろん現象が起こりやすい建て方は知ってただろうけど)、現代の再建では、きちんと計算して鳴き龍を起させたのだろう。

●鳴き龍現象の解説サイトへのリンク

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草津・日光旅行-眠り猫

IMG_0443-crop_Nemuri_neko.jpg 日光東照宮をとりあげる3回目。
今日は「眠り猫」。

左甚五郎作として有名な彫刻、ガイドの説明では日光東照宮で左甚五郎作というのはこの1点だという。
そして、眠り猫についても、今まで聞き知っていた説明とは全く違う話をガイドだんから聞いた。

今まで聞いていたのは、猫はネズミから東照宮を守る役目があるけれど、猫が寝てしまうほど平和だということを示しているというような説明。

ところがガイドの説明では、眠っていたらネズミの番ができないと言う。
そして、眠り猫に向かって左手に客を集めて、ここから猫を見るように指示する。
その角度から見ると、猫はちゃんと見張りをしていて、後ろ足の曲がり方は、いつでも跳びかかれるという体勢とのこと。

私が撮った写真(上の1枚)はもうひとつなので、ネットで拾った写真(下2枚)も含めてアップする。
左から見た写真と、正面から見た写真を比べて見てもらいたい。

nemuri-neko-net-left.jpg nemuri-neko-net-front.jpg


こうして比べて見ると、たしかに、跳びかかる体勢をとっているのと、眠っているように見えるのと、はっきりと両様に見える。たまたまなのか、角度によって見え方が変わるように意図して製作されたものなのか。

名工甚五郎なら、やはりきちんと計算したのではないだろうか。
400年も前の話である。製作意図などが記録に残っているとも思えない。甚五郎への注文はどんなものだったんだろう。ネズミの番をする猫を彫ってもらいたい、そんなところだろうか。


この彫刻を「眠り猫」と呼び始めたのはいつ頃のことだろう。
日光東照宮にはさまざまな伝説・口碑がある。根拠のあるものも、いつしかそう言い伝えられたものもあるようだ。

そういえば、日光東照宮を紹介するテレビ番組で、前の宮司さんだかが講釈されていたのだけれど、その人が言うには、子供の団体に説明すると思いもよらない質問が出てくる、それに答えるうちに、その急場しのぎの説明のほうが面白いかったりして、それからはその説明をするようになったりするという話もあった。
案外、そうやって伝説が生まれるのかもしれない。


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草津・日光旅行-三猿

1 小手をかざして遠くを見ている母親は、空間としての遠方ではなく、時間としての遠方、即ち未来(子の将来)を見ている。その方向には、実を付けた枇杷と朱色の蕾がある。
母親が子供の未来を遥かに望んでいる場面で、枇杷と朱色の蕾は(バラ色で実り豊か)な子供の未来を暗示している。
2 幼いうちは、純真で周囲の影響を受けやすい。だから世の中の悪いことは見聞きせず、悪い言葉も使わせず、良いものだけを与えよ。
この時期に、良いものを身に付けておけば、悪いものに触れ(対し)ても正しい判断(行動)ができる。
3 一匹の座った猿。(未だ立っていない)
どことなく寂しそうなのは、孤独に耐えつつも、これからの人生(将来)を考えている。やがて立ち上がれば、「自立・一人立ち」(精神的にも肉体的にもレベルアップ)する。
4 二匹の猿が上方を見上げている。希望をもって上を見上げる青年期のイメージ。
右上に青雲が配され、「青雲の志」を抱いた若い猿と解釈できる。
御遺訓にいう『上を見な・身の程を知れ』である。
5 右側の猿は樹の上で前方を凝視している。
左側の二匹は岩の上にいる。
中央の猿は崖からの転落は免れた状況か(木から落ちた後かも)。
左側の猿は、中央の猿の背中に手を当てている。友達を慰める、或いは励ましているように見える。
6 右側の猿は座って腕をお腹の前で交差させ、正面を凝視している。
左側の猿は何か考え、決断を迫られている。(次の面から解釈するに、右側の猿は結婚の決心を固めた猿。一方の猿は、未だそれに至っていない状況なのかもしれない。)
7 左下に逆巻く波、右側の根本には薔薇の花。右側の猿は長い左手を波に差しのべ、左側の猿は腕組みをしている。二匹とも波を見つめている。右側の猿の上には赤い雲。(二人で力を合わせれば『人生の荒波』も乗り越えられる)
8 結婚した二人が強力して荒波を乗り越え、平安な家庭環境を整え、子宝に恵まれ、子供が生まれれば、親となり、最初の面の子育てへと辿ることになる。(そして永遠の生命が受け継がれていく)
子は「悪いことは見ない・聞かない・話さない」そして「平安」な心で育てられなければならない。幼児期の在るべき環境を『長春(薔薇の別名)』が象徴している。
昨日に続いて日光東照宮。
今日は有名な「三猿」をとりあげる。

まずはじめに「三猿」の彫刻があるのは、神厩舎、つまり厩である。猿は馬を守るという言い伝えから猿が配されたということであるが、彫刻はいわゆる三猿1点ではなく、8点が建物の正面と右側面に配されている。

ガイドが言うには、個人で来る人などは正面だけ見て「三猿を見た、次へ行こう」と右側を見ずに行ってしまうとか。ガイドが付けば、そういう見落としはありません、と。


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さて、その「見ざる、言わざる、聞かざる」として知られる三猿、ややこしい事に関わらない消極的・自己保身的態度を表現する言葉と理解して来た。「触らぬ神に祟りなし」と同じような意味で考えていた。

けれどもガイドの説明では、そうではない。
幼いうちは、純真で周囲の影響を受けやすい。だから世の中の悪いことは見聞きせず、悪い言葉も使わせず、良いものだけを与えよ。
この時期に、良いものを身に付けておけば、悪いものに触れ(対し)ても正しい判断(行動)ができる。
猿の彫刻が施された神厩舎前の説明にも書かれている。
(写真下。他の7点を含め全体の説明分は右表)

それにしても、他の7点も彫刻としてもなかなかのものだし、その含意も人生のシーンに応じて用意されているから、「八額」とでも呼んで親しまれても良さそうなものだと思うのだけれど、「三猿」ばかり有名になったのはなぜだろう。


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草津・日光旅行-日光東照宮

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日光東照宮参道
旅のメインの日光東照宮
1時間程度の訪問なので、じっくりと見て回るというほどではない。

二荒山には参っていないので、日光を一通り見たとも言えない。


現地のガイドに導かれて、輪王寺参拝、三猿、陽明門、権現さま参拝、鳴き龍と回る。

ガイドの話では、日光のガイドは地元の人しかなれないということで、彼は、祖父・父・本人の3代にわたってガイドを務めているそうだ。
1日に7回ぐらい案内することもあるそうで、そういう日は2万歩を超えるという。


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修復工事中の輪王寺三仏堂(入場参拝は可能)
周知のとおり、今年は陽明門や主要な彫刻の修復が行われたわけだが、それぞれの修復のタイミングは微妙に違うということで、今回はそれが重なったということで奇跡の年だということである。

輪王寺は現在修復中だから、建物はすっぽり覆われて、漆の塗り直しなどが行われている。


文化財の修復と言えば、経年変化で見慣れた姿がいいのか、創建時の姿が良いのかという議論があって、平等院では、結局、創建時の姿が採用された。奈良の枕詞「青丹良し」は緑色と朱色で塗られた都の建築の壮麗さからという説があるが、そのように壮麗な鳳凰堂となった。

こちら日光東照宮の修復では、建物自体はともかく、彫刻の表情が変わったとネットで話題になっている。
日光東照宮、修復で「三猿」の顔が変わった?

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陽明門拝殿

さて、日光東照宮の印象だけれど、奈良・京都の古社寺と比べると、建物については、神さびた雰囲気には乏しいと思う。
たしかに豪華である。ふんだんな金箔(その上に彩色されるから必ずしもキンキラキンとは言えない)、貝殻から作る胡粉などの顔料の使用(ガイドによると、胡粉は金箔よりも高価なもので、それで白く塗られているところは東照宮の中でも特に重要な場所という)、そしてたくさんの手の込んだオーナメント、彫刻類。

Katamuita Tohro
これは真っ直ぐにはしないんだろうか?
そして東照宮自体はむしろ小ぢんまりしている印象。
陽明門や拝殿の建物が小さいのは写真などで見て予想通りだけれど、境内域も有名寺院と比べれば広くない。
考えてみれば、寺は修行の場だから人が集まるところだけれど、社は神様をお祀りする場所だから、人が暮らせる場所を広くとる必要はないのかもしれない。

贅を尽くした社といえども山を制圧するわけではなく、山に抱かれたという雰囲気である。
おかげで神聖な感じも醸し出していて、建物とは良いコントラストになっていると思う。

権現様(「直虎」の家康は実に頼りないけれど)にお参りして、けっこうでございました。

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草津・日光旅行―東照宮へ移動

170919_IMG_0359_Chuzenjiko.jpg 華厳の滝を見終わって、東照宮へ移動。

時間が前後するが、華厳の滝の前に、中禅寺湖畔で昼食。

昼食後、湖畔で休憩。
ここも標高が1300m近くあるから、涼しい。
誰かに聞いた話だけれど、中禅寺湖で泳ごうとして、水の冷たさにびっくりしたとか。


そして、中禅寺湖畔から東照宮へ向かう。


170920_IMG_0389_Irohazaka.jpg 有名ないろは坂。
各カーブに番号と「いろは」が書かれている。 写真は「な 21」

いろはは48文字だけれど、カーブはあと2つあるそうだ。


他に道があるのか、それとも観光をかねてわざわざここを通るのか、不勉強で、よくわからない。
昔は、この坂を上り・下りが行き違っていたそうだが、今は登りは別ルートが整備されている。
ということで、下りの私たちのバスも、以前よりはラクに降りているとのこと。

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中禅寺湖畔の花
それでも、バスはときどき停車して、後ろからくる乗用車をやり過ごしていた。
大型バスはどうしてもノロノロ運転になるからである。

と思っていたら、退避して路線バスをやり過ごした。
さすがに常日頃通っている路線バスは要領がわかっているようだ。
乗用車も追い立てて走っているに違いない。




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草津・日光旅行―華厳の滝

170919IMG_0387.jpg 華厳の滝

初めて訪れるのだけれど特別な場所である。
40年以上前のこと、高校時代の同級生がここで身を投げた。

進学した大学が違うから、その頃は通信もしてなかったのだが、彼女とは小学校から高校まで同級だったし、親同士も良く知る仲なので、同級生というよりは幼なじみというほうが近いかもしれない。
彼女が身を投げたということも、お互いの親を通じて知らされた。

暗いところなど全くない人で、友達の面倒も良くみる、世話焼きおばさんの素質たっぷりだったから、その知らせに実感というものが湧かなかった。

しばらくして、彼女の父親から、娘が好きだった本なので、読んでみてくださいと、記念品のように本が届けられた。
彼女が生きていた証のようなものかとも思ったのだけれど、なんとなく心が引けて未だに読めずにいる。
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華厳の滝(動画)

大橋鎭子「すてきなあなたに」。
「とと姉ちゃん」のモデルになった人の随筆である。


どうしてなのか、今も、その時も全くわからない。
しかし、彼女が生きていたことは、私の記憶にはしっかり残っている。
しっかりものの彼女に何度も叱られたことも。



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草津・日光旅行―吹割の滝

17099IMG_0279s.jpg吹割の滝」(ふきわれのたき)というのはこの旅行まで知らなかった。

それで事前にどんなところか調べると、2000年のNHK大河ドラマ
『葵 徳川三代』のオープニングに使われたという説明があった。ならば、当然、見覚えがあるわけで、大河ドラマのオープングを集めたDVDで確認しておいた。

滝の所在地は沼田市。徳川との縁はピンとこない、絵としての滝が欲しかっただけだろう。縁が強いのは真田氏だから「真田丸」のオープニングでもおかしくなかったろうけど。


台風通過の後だから、水量が多くなっているのではと期待したが、ガイドさんによれば、今日は水が少ないとのことだった。

「葵」のオープニングをスマホに出してガイドさんに見てもらったら、そうそうこのぐらいの水量が良い時よ、と。


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吹割の滝(動画)
「日本のナイアガラ」という触れこみだけれど、滝を下から見上げるわけでも、上から見下ろすわけでもなく、横からのアングルでは、高さや大きさを感じにくいので、迫力というより、優雅に感じてしまう。
この後、鬼怒川温泉に行くわけだが、そちらには「東武ワールドスクウェア」という、世界の有名建造物を1/25のスケールで再現したテーマパークがある。吹割の滝はいってみれば自然の「東武ワールドスクウェア」みたいなものか。

残念ながら「東武ワールドスクウェア」を訪れる時間はなかった。バスの窓から東京スカイツリーの上部だけが見えた。


「葵」に使われたのは吹割の滝だけだが、すぐ下流には「鱒飛の滝」というものもある。このあたりまでは見ることができたけれど、今回はあまり時間がなかったから、上流のほうなど、区域全体を見ることはできなかった。
沼田市のサイトに全体が案内されているのでそちらでご確認を。

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草津・日光旅行―草津温泉

P_20170918_191339_vHDR_Auto-crops.jpg 草津温泉ははじめて。
前にも書いたように、関西からは気軽に行けるところではない。

東京の企業なら、昭和の宴会(職場の慰安旅行)あたりで利用するにはちょうどよいかもしれないが。


草津温泉の中心部は「湯畑」である。
湯畑は、温泉の湯が流されて、湯の花を採取する施設だそうだ。それで畑というらしい。

P_20170918_192002_vHDR_Autos.jpg P_20170918_192625_vHDR_Autos.jpg

この湯畑の周囲に、土産物屋や食べ物屋が立ち並ぶ。
イルミネーションも賑やかで、人通りも多い。それでいて、熱海などとは違って落ち着きがある。

P_20170918_192342_vHDR_Auto-crops.jpg この落ち着いた雰囲気がどこから来るのかと考えていたのだけれど、湯畑を一歩離れると、派手な電飾がほどこされていない古風な温泉宿とか、老舗のまんじゅう屋など風情のある建物が並んでいるせいかもしれない。昼間に入ったらまた違う感想になるかもしれないが。

行ったことはないが湯布院は俗化した温泉街を否定して人気を集めているという。
(値段が高い、敷居が高い)


もう少し歩けば、昔ながら(?)の湯治宿のような由緒ありげな宿が多い。

私が宿泊したのは、バスで10分(歩いても15分)の小高い場所に建つホテル。

バスのガイドさんの話では、草津の温泉旅館も最近は素泊まり客が増えて、あまり儲からない、経営が苦しくなっているとのことだけれど、ネットで見た意見記事で、日本の旅館が外国人観光客に不評なところとして、お仕着せ料理があるとあった。
1泊2日ならまだしも、連泊することが多い外国人観光客にとっては、お仕着せ料理ほどつまらないものはないという。しかも、毎日同じ様なものばかり食べさせられる。連泊の客には食事なしが選べるようになっていなければそっぽを向かれるという。同じ記事で、リゾートホテルで、外国人観光客は素泊まりばっかりで、ホテルの立派なフレンチレストランには見向きもされず、近所のお好み焼き屋にばっかり行くと嘆いているともあった。
オーベルジュを目指す方向と、素泊まり客を安く泊める方向、どちらかはっきりしたほうが良いのかもしれない。

もっとも団体旅行ほどオーベルジュには似合わないものもないだろうけど。


さて、草津温泉の泉質だけれど、強酸性だという。
舐めて見たら、かなり苦辛い。飲用は無理である。

長く湯に入っていると皮膚の角質層が剥落するというのだが、それを実感したのが、湯上り後、スマートフォンのタッチパネルの反応が悪くなったこと。ディスプレイ面はそうでもないが、ベゼルの「戻る」「ホーム」「メニュー」ボタンが特に反応が悪かった。

P_20170918_190147_vHDR_Auto-crops.jpg また、草津温泉は活火山の白根山の懐にある温泉で、源泉の水温は95℃もあるそうだ。これをパイプで町に引いてくるわけだが、ガイドさんによると、湯送パイプはその中に水道管も入っていて、これで湯温が下がり、水道水はお湯になるという。
町全体がセントラル・ヒーティングというわけだ。

ただし、温泉を引き込める所は限られていて、一般家庭には引き込めないという。


湯畑には何か所か、無料の公衆浴場もある。
私が入ったのは「白旗の湯」というところ。ここは白濁した湯である。そして熱い。
P_20170918_185007_vHDR_Autos.jpg

傍に「白旗源泉」という湯が出るところがあるのだけれど、こことどういう関係だろう。

もちろん宿泊したホテルもお湯を引いている。熱めと温めの浴槽が用意されていたのだけれど、熱めの方も思ったほど熱くなかった。普段は熱いということだから、泊った日がたまたまそうだったのかもしれない。

なお草津は涼しい。標高が1000mを超えているからだろう。まだクールビズをやっているこの時期、最高気温は20℃台前半、最低気温は10℃を切っていた。

空気が薄いとは感じなかったけれど。


ところで以前、草津町のふるさと納税返礼品(くさつ温泉感謝券)について記事にした。
現地に来ると、ますます感謝券は、総務省のいう商品券には当たらぬもの、地域振興策(効果のほどはわからないが)であることがわかる。
草津の湯は、恋わずらいは治せないというが、馬鹿にも効かないようだ。

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草津・日光旅行全行程~長時間のバス移動

草津・日光旅行シリーズ、前回書いたように今回の旅行では長時間のバス移動がともなう。

itinerary20170918-20R.jpg 鉄道で行くツアーというのは、現地はバスで観光という行程だと勝手に考えていた(海外ツアーでは現地はバスで観光というのが普通だからその印象かもしれない)。

というわけで、きちんとチェックせずにツアーを申し込んだのだが、現地はバスで観光どころか、鉄道での移動距離・移動時間よりも、バスでの移動距離・移動時間の方がずっと長い。とても「現地はバスでご案内」というような代物ではない。
北陸まわりということで長野あたりの最寄駅まで新幹線で行って、そこからバスで草津へ行くものと勝手に思い込んでいた。もっと目的地に鉄道で寄れるのに、富山からバスで草津に行くとは思いもしなかった。

どうしてこんな変なルートになっているのか、旅のはじめに、添乗員さんにきくと、富山まではJR西日本、富山から先はJR東日本となって、かなり割高になるのだそうだ。個人旅行だと会社が違っても通算で考えているから意識しないけれど、旅行会社の団体ツアーとなるとそうもいかないのかもしれない。


文句はこれくらいにして、以下、富山からのバスルート中心に全行程をたどってみよう。

第1日(9月18日)
8:41京都発サンダーバード7号~11:02 金沢着
11:28金沢発つるぎ708号~11:51 富山着
12:10富山発 濃飛観光バス
13:10北陸自動車道 越中境PA 休憩
13:20越中境PA発―上信越自動車道―地道
15:00道の駅 山ノ内 休憩・買い物
15:20山ノ内を出発 志賀高原通過
志賀高原~群馬県 渋峠標高2172mを通過
16:45草津ナウリゾートホテル到着
まず初日(9月18日)は、富山から草津温泉までバス移動がトータル4時間半。
富山からは北陸自動車道に乗り、途中、越中境PAで休憩。
さらに進んで、上信越JCTから上信越自動車道に入る。
上信越自動車道は、信州中野ICで降りて、志賀高原を走る。途中、国道としては最も標高が高いという渋峠(2172m)を通過。
ずっと山道で、スキー場や沼などを周囲に見る。

地道では、「道の駅 山ノ内」というところで休憩、及び買い物。
170918IMG_0186-crops.jpg このツアーでは、特に土産物店と提携して寄り道することはないという説明があったが、休憩場所ではいろんな物産が売られている。私もここでりんごジュースを購入した。

この後はひたすら草津温泉へ向けて走る。

天候が良く、北信五岳(妙高山、斑尾山、黒姫山 、戸隠山、飯縄山)を臨みながら走る。
草津温泉は白根山の山腹にある。
その白根山はいうまでもなく活火山、バスの中にも独特の火山ガスの臭いが漂ってくる。

宿に着いたのは16:45頃。
食事は宿側の希望で17:30から20:30までとのことだったので、早めの夕食をとって、草津温泉の中心、湯畑へ。これはホテルのシャトルバスを利用して10分程度。

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第2日(9月19日)
8:00ホテル出発
10:00休憩場所「こんにゃく工房」着
10:20吹割の滝
11:05吹割の滝発
12:20昼食(中禅寺観光センター)
13:15中禅寺観光センター発
13:20華厳の滝着
15:00華厳の滝発
15:10日光東照宮着
16:15日光東照宮発
16:45鬼怒川観光ホテル着
2日目は本ツアーのメイン、日光である。
8:00に宿を出発。
草津温泉から日光へいく道は「日本ロマンチック街道」というらしい。
後で調べたら「日本において最もドイツ的景観を持つ街道」ということなのだけれど、どこがドイツ的なのか良くわからない。ドイツのロマンチック街道ってこんなに沿道に樹木が茂ったりしてなかったと思うけれど。

岩櫃山などドラマでも有名になった山(写真)がある。手前側は切り立った崖で、この上に城が築かれていた。

その岩櫃山からかなり離れて「岩櫃城」という縁も所縁もない観光施設がある。


途中、吹割の滝という滝を見る。大河ドラマ「葵 徳川三代」のタイトルにも使われた名所。

170919IMG_0246.jpg 日光が近づくと男体山が見えてくる。日光のおまけみたいに思っていて、奈良の若草山のような丘のような形状を想像していたが、なかなか堂々たる山体である。

続いて中禅寺湖の畔にある「中禅寺観光センター」で昼食。ゆば御膳というもの。

特別旨いということもない。
団体旅行のお仕着せ食事というのはこういうものだろう。


中禅寺湖から華厳の滝はすぐである。
ツアーには、滝の下方の観望場へ降りるエレベーター料金は含まれていない。30人以上の団体は、料金が通常550円が490円になる。
出発時刻の頃には、小学生の修学旅行らしき大団体がやってきた。これにまともにぶつかったらゆっくり観望することはできなかっただろう。天気だけでなく、こういう面でもラッキーである。

2nd-day-photo.jpg

第3日(9月20日)
8:00ホテル出発
8:50わたらせ渓谷鐡道足尾駅着
9:23足尾駅発
9:47神戸駅着
10:00神戸駅発
11:30昼食 原田農園着
12:30原田農園発
14:15北陸自動車道 米山SA 休憩
16:05北陸自動車道 有磯海SA 休憩
16:50富山駅着
18:11富山発 つるぎ725号
18:33金沢着
18:42金沢発 サンダーバード44号
20:54京都着
3日目はひたすら帰り道を急ぐわけだが、今回のツアーでは途中、バスを降りて「わたらせ渓谷鐡道」に乗る。
バスは日光から足尾まで、日足道路というところを走る。

わたらせ渓谷鐡道は、もともと足尾銅山の銅を運ぶための路線。
休日などは、鉄道マニアが多く訪れるとのことだが、今回はこのツアーの貸切状態。

足尾駅から神戸(ごうど)駅まで、24分の列車の旅(って「列」になってない)。

バスは足尾駅で客を降ろすと、神戸駅まで先回り。移動時間は列車のほうがかなり速いそうで、客が30分待って列車に24分乗るこの54分で先回りするわけだ。


170920IMG_0573.jpg このツアーでは、このわたらせ渓谷鐡道に乗せるプランと、軽井沢をまわるプランがあって、季節によって変えているようだ。

神戸駅を後にして、ひたすら富山をめざす。
途中、昼食のために「原田農園」というところに寄る。
この頃は、団体客向けの食事施設が減っているそうで(団体旅行がはやらないから?)、たいていの団体はこちらを利用するとのこと。
昼食は「きのこ鍋」。きのこ鍋のほか、きのこの刺身、きのこの煮物、ときのこばかり。
日光の昼食もそうだったけれど、醤油がかった味付け。関西人からすれば田舎料理。

帰りは、往きの上信越ではなく、関越道を利用する。
ルートマップを見ると、往きのルートより大回りしているように見えるが、関越道を走るほうが速い。
長岡JCTで北陸自動車道へ入る。

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ということで、通算すれば、15時間ぐらいバスに乗っていた。

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こんにゃく畑
群馬県のこんにゃく生産シェアは90%を超える。
スーパーでこんにゃく芋が売られ、県民は自分でこんにゃくを作るという。
こう書くとバス移動は大変だったろうと言われそうだけれど、たしかに身体的にはきついものがあるけれど、バスガイドがこれがなかなかの方で、この行程のほとんどを見事なおしゃべり、薀蓄話で埋め尽くしてくれた。精神的には随分と救われた。
おどろくほど多方面にわたって話の引出しをお持ちのようで、土地の歴史や文化、名産物などはアタリマエ、高速道路やダム(あの八ツ場ダムとか)の建設費や政府の建設決定にまつわる話とか、驚くほどのネタが飛び出してくる。
まさに脂の乗り切った(体にも)ガイドさんである。

もちろんネットなどで調べれば出てくる情報なのかもしれないが、そういう情報を意図的に取得する機会はそうないわけで、こういう受動型の情報取得機会は貴重である。

電子辞書より紙の辞書が良いという人は、ついでに違う言葉にぶつかるのが良いと言う。
講談を面白がって聞いているうちに、後の仕事の役に立つ情報を我知らず取得しているという話もある。


添乗員もなかなかのベテラン(年寄りではなく働き盛り)で手際が良い。
上手いと思ったのは、前もってはすべての情報を客に与えず、たとえば列車の座席指定など、その時・次に必要な情報を小出しにする。客の情報管理負担を下げるという意味もあると思うが、それ以上に、各チェックポイントでの客の集合確認を自然に行え、ツアー管理をしやすくしている(そういう意図があるのか添乗員にきいたところ、そのとおりという答えだった)。

今日は全行程をご紹介したが、旅の見どころについては、それぞれ別稿を起す予定。

(なんといっても久々の大ネタ、記事の本数を稼がにゃ)


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獺祭まつり

昨夜は職場の宴会。

暑気払いというにはちょっと遅い。「獺祭まつり」と銘打っている。

その謂れを語ると、時は遡ること昨年12月、職場の同僚が結婚したのだが、その披露宴で参列者のそれぞれにグリーティング・カードが付けられていた。

その私宛のカードが下の通り。

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こんなこと書いたら、そら尾を引きますな。
カードは大事に持ち帰り、その後職場の机の透明マットの下にはさんでじっと時を待ちますな。
そして、「一体、いつ獺祭まつりやるんや?」とね。

というわけで、ようやく昨夜の宴会になったというわけ。

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あては串カツ、コースで12種類、さらにホタテなどを追加。
変わったところでは、バナナの串カツ、バウムクーヘンの串カツ(どちらもコース外)。
バウムクーヘンは、一部参加者から絶大な支持を集めていた。

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草津・日光旅行は天候に恵まれた

ナウ記事から続けてアップしている、9月18~20日の草津・日光旅行の全体のルートを紹介しよう。

旅程

今回の旅行では、台風18号の接近で、旅程通りに行けるかどうかが憂慮された。
この台風、強くて大型だったが、進行速度が遅く、さっさと日本列島を通り抜けてくれれば良いのだが、長い間ゆっくりと動いていて、結局、出発前日の9月17日に台風18号近畿に最接近した。

前日はサンダーバードは全便運休だったが、出発当日は既報の通り、始発のサンダーバード1号(大阪発6:30)は前日のうちに運休が決まっていたとのことだが、私が乗ったサンダーバード7号(大阪発8:10)は定刻通りの運行。

2017-09-21_140553.jpg 結果的には、ナウ記事をアップしているように、旅行中はほぼ良い天気で、台風の影響は、きわめて軽微だった。
3日間を通じて、雨には、バス移動中以外には全く遭わなかった。
台風通過後の初日は北陸自動車道に小雨が残ってはいたけれど、PA休憩時にも傘は不要だった。
また、最終日、帰路の富山到着の少し前、黒部・魚津あたりで豪雨に遭遇した。有磯海SAでトイレ休憩をとった時はまだしっかり降っていたが、バスの運転手さんが、屋根のあるところ(身障者駐車エリア)にピッタリ横づけしたので、誰も傘を出すことはなかった。

家へ帰ってテレビのニュースを見ると、北陸から東北の日本海側は大変な豪雨で、秋田あたりでは台風18号のときよりも強い風と豪雨に見舞われたそうだ。
我々もその降雨帯に遭遇したわけだが、富山に着いた時は雨はほぼ止んでいた。


逆に、台風が吹き払ってくれたのか、日光などはとても天気が良かった。
これほど天候に恵まれ、しかも雨の間を縫うような他にないタイミングのツアーはめずらしいとのことであった。

同じコースの他の出発日のツアーはどうだったろう、特に我々の2日前のツアーなどは。


さて、恥かしながら、草津温泉、日光、どちらも今まで行ったことがない。
「日光を見ずして結構と言うな」という諺があるぐらいだから、死ぬまでに一度は日光にとは思っていた。

ナポリには行ったことがあるのだけど。“See Naples and die”

もっとも、東照大権現様は、江戸人なら崇め奉るかもしれないが、関西にはそれほどありがたがる風土はない。

一方の「お医者様でも草津の湯でも」の歌で人口に膾炙する草津温泉も、関西からは至って遠い。新宿からだとバスで3時間30分ぐらいで行けるようだが、関西からだと、どういう経路でもかなりの時間がかかる。

どちらも全国的には有名な名所だけれど、関西人には決して身近なものではないと思う。

出張などで全国都道府県の多くは訪問したことがあるけれど、群馬県には足を踏み入れたことがなかった。


さて、メディアで数多くとりあげられているように、今年、多くの建物・彫刻が修復されたことにも押されて、一念発起して日光へ行くことにした。
個人旅行でも良いのだけれど、日光はかなりの人出が考えられるので、要領よく観光するのにパッケージツアーがないかと調べると、数は少ないが関西からのツアーもあることはある。
いずれも北陸まわりのツアーである。草津や日光へは東京まわりの方がはやいと思うけれど、ツアーとなると東京まわりは交通費が高いらしく、格安ツアーというわけにはゆかない。

後から考えれば、東京までは個人で行って、東京からの日光ツアーを探してもよかったかもしれない。
もっとも、2泊3日の全食事付きで、49,800円は安い(三連休中の9月16日発だと79,800円)。これがこのツアーを選んだ最重要ポイント。


また天候の話になるが、帰りの富山着の少し前のバスの中で、添乗員から、サンダーバードは風に弱くすぐに運休するという話があって、彼女の経験談として、同じようなツアーでサンダーバードが止まってしまって予定のコースでは帰れなくなってしまったことがあったそうだ。
そのときは終日北陸線が動かず、結局、ツアー参加者は富山から東京へ出て、東京から大阪へ帰ったという。

バスの運転手の運転時間・距離の制限があるため、同じバスで大阪まで行くことができない。別のバスを迎えに出すことになるが、その手配ができなかったということである。客は、JRの払い戻しとの差し引きで1万円ぐらい上乗せすることになったらしい。


それができるんだから、日光行くならやっぱり東京まわりが良いのかも。
長時間のバス移動となった今回のツアー、詳しくはまたあらためて。

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富山からのバスルート(赤線は「わたらせ渓谷鐡道」利用)
※所要時間表示はGoogleマップ(車移動の場合)


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京都駅の入出場

18日から昨日20日まで、草津・日光ツアーに出てたことは、「ナウ記事」で紹介済み。

できれば今日、総括的な記事を書きたいところだけれど、昨日の帰りが少々遅かったので、それらは後日ということにして、今日のところは、ちょこっとだけ。

ツアーは、大阪発着のものだったのだが、私は京都から参加。ということで、京都駅には個人で入場券を購入して、指定列車に乗ることになる。
P_20170918_081737_vHDR_Auto-crop.jpg 入場券というのは今まで買った記憶がない(あったかもしれないが正真正銘記憶としてはない)。
なので、記録のために入場券の写真。

乗車券と入場券は全く異なるものということで、ICOCAで入場することはできない。(券売機でICOCAが使えるのかどうかは試してない)
券面を見てわかるように、発売時から2時間有効となっている。入場からではない。普通はそんなことはないだろうけれど、先に入場券を買って食事や買い物などして2時間を経過したら、無効になってしまうということだが、実際にそのような扱いをしているのだろうか。


そして帰りも、ツアーは大阪まで行くわけだが、私は京都で降りる。
駅への団体入出場は、添乗員の引率のもと一斉に行うものだけれど、こういう場合はどうするのかと思っていたら、やはり、それようの出場券が出される。
P_20170920_194723_vHDR_Auto.jpg これも珍しい(私にとっては)ので、写真をアップしておく。

ところで、京都駅では、JR奈良線のホームにつながる南東の改札口から出場しようとしたら、駅員がいない。改札に張り出されている案内を見ると、改札口の脇のインターフォンで連絡しろということになっている。
指示通りインターフォンを押すとすぐに駅員が応答、

「どういうご用件ですか」
「自動券でないのですがどうしたら良いですか?」
「インターフォンの下の台にお持ちの券を置いてください」
(券を置く)
「確認できました。券を台の奥にあるスリットに落とし込んで出場してください」
(台の上にカメラが置いてあるようだ。
会話だけではわかりにくいかもしれない。インターフォンのセットを写真に撮って置けばよかった。)

無事、問題なく出場したわけだけれど、こういうケースに慣れないと、まごついてそのまま出てしまう人もいるかもしれない。そうした狼藉者は、おそらく監視カメラで撮影されて、駅中に手配が回るんだろう。

ということで、旅の記録の記事をきちんと書く(これがいつになるのか)のに先だって、小ネタで。

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今日はここ

今日はここ。







そして対照的に。







旅の様子はあらためてまとめるつもり。



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今日は、ここ

今日は、ここ。







次はこちら。







とくれば次は当然ここ。






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台風ー過

台風ー過、三連休最終日は良い天気。



ちょっとそこまで。



台風の影響で、サンダーバード1号は運休したらしい。これは7号。




金沢始発で富山終点って短かすぎない?



AC100Ⅴ 60Hz 2Aって、全席が使ったら大変だな。


そして、



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贈与の歴史学

zouyo_no_rekisigaku.jpg 桜井英治「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ」について。

現在のお歳暮とかの習慣がどのように成立してきたのかな、という程度の関心で読んでみた。
ところが、中味は贈り物のマナーなどというノウハウとはもちろん無関係であるけれど、さらに人類史における贈与というような構え方をしているわけではない。

そうそた点も意識はされていて、モースの「贈与論」で書き出され、マリノフスキーなど人類学での贈与の扱いなどにも触れるけれど、これはどちらかと言えば露払いである。

この本のメインは、室町時代を中心とする日本の中世社会での贈与。著者は、人類学者とか経済学者とかではなくて、中世史を専門とする歴史家である。

室町時代といえば、貨幣経済が発達し、手形取引が始まった時代である。
また、徳政が頻繁に行われた時代でもある。

著者は、脆弱と言われる室町幕府の財政について「贈与依存財政」と呼ぶ。
それを成立させていた、室町時代の贈答経済はとても特殊で、「贈答経済でどこまでいけるか」を追求したような観があるという。
第1章 贈与から税へ
1.四つの義務
2.神への贈与
3.人への贈与
第2章 贈与の強制力
1.有徳思想―神々からの解放
2.「礼」の拘束力
3.「相当」の観念と「礼」の秩序
第3章 贈与と経済
1.贈与と商業
2.贈与と信用
3.人格性と非人格性の葛藤
第4章 儀礼のコスモロジー
1."気前のよさ"と御物の系譜学
2.劇場性と外在性
3.土地・労働・時間
その一手段として生み出された傑作が「折紙」。
折紙というのは、贈り物に付けた目録で、紙を半分に折る形式だったことから折紙と言うようになったもの。

現代語でも使われる「折紙付」という言葉の折紙も同根で、品物の品質保証書というような役割を持っていたもの。

折紙は、元々は、斯々然々のものをお贈りしますという目録だったのが、いつしか実物の移動を伴わずに贈り物のように流通するようになる。物として金子が書かれていたら、まるでその金子であるかのように流通する。
さらには、転々流通性まで持つようになったというわけである。

チューリップが高値で取引されていたところ、あるとき何でこれにこんな値段が付くんだと疑問に思ったとたん、バブルが崩壊するようなもので、折紙ってなんで通用するのと誰かが言いだしたら終わりかもしれない。

で、こんなことを考えた。
貨幣の発生史としては否定されると思うけれど、貨幣は財物の貸借の証文と考えるのが一番わかりやすんじゃないだろうか。もちろん手形より貨幣の方が先なのだけれど、貨幣の本質的な役割は手形と同様、賃借の情報じゃないんだろうかと。

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